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私の岩国

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年10月23日更新

「町と人に救われた不登校生活」 塩生好紀さん その1

 

 高森小学校校門

 

 第一回「町と人に救われた不登校生活」

 

 

 幼少期は岩国市内の吉香公園や錦川、島田川などで歳の離れた姉二人とよく遊んで過ごし、スポーツ好きな両親の影響もあり、物心つく頃には遊び道具はバットとボールで、市内にある由宇球場にはよく父親や友人らと観戦に行っていた。

 

幼少期吉香公園にて

 

 小学生となり、学校に行けなかった約5年間を救ってくれたのはこの町と人だった。成人となり様々な勉強を重ねる中で、自らが学習障害の一種である読字障害であったことに気づく。幼稚園時代から集団での行動や生活にも馴染めず、親や先生を苦しませていた。小学校に入学し間もなく行けなくなってしまった。数年は、行けるように頑張ってみたもの、自分にとっては苦痛しかなかったため「行かない」選択をした。今となっては、不登校や人権、教育に関する取材や講演依頼などもいただき、不登校という貴重な経験ができたことが誇りとなり、自信となってきている。不登校は病気でも悪いことでもなく、ただ純粋に学校という環境や生活がどうしても合わないことである。例えると、誰しもが絶対に食べられないほどの苦手なものがあるのと同じ感覚である。

 

小学生時代の塩生氏 

 

 とは言え、当時は子供なりに苦しみ辛い日々だった。普通に学校にいければいいのに、とは毎日のように思っていた。そんな辛い小学生時代だったが、この度のロケであえて小学校を選ばせていただいた。実質、ほとんど行けていなかったものの、「不登校」という経験ができ今では感謝しているため、小学校の地に訪れたかった。写真を撮りながらレンズ越しに見える校舎や耳に聞こえる小学生たちの元気な声、辛い思い出を思い出しつつ、どうにか乗り越え今に至る嬉しさもこみ上げてきて、とても感慨深い機会となった。

 

高森小撮影シーン

 この長期間の不登校生活を支え救ってくれたのは、地元の町と人たちだった。もちろん親も一番近くで支えてはくれていたのだが、どちらかと言えば一緒に苦しんでいた側。学校に行っていないのにも関わらず学校が終わったら遊んでくれる同世代の友達、休日に何気なく会いに来て、たわいのない話をしてくれる担任の先生、釣りや農作業に誘ってくれる近所のおじちゃんなどなど、子供ながら本当に人に恵まれていたと感じる。
 友達や近所の方とよく遊びに行っていた中山湖や椙杜八幡宮にも立ち寄った。当時とほとんど変わってなく、また同じように走り回ったり、釣りしたりしたいなと思いながら、深呼吸。見た目だけでなく、空気も当時と同じように感じた。現在は日々慌ただしい福岡市内のビルやマンションが立ち並ぶ街に住んでいる。自然豊かなこの町だったからこそ救われたことが多く、かつ大きかったと改めて感じた。

 

中山湖・椙杜八幡宮
<中山湖・椙杜八幡宮>


 現在は、地元で受けた様々な貴重なご縁や経験を大切にしつつ、小学生から大学生まで不登校に悩む子供たちやご家族を支援する活動も行い、恩送りができればと考えている。また、様々な自治体や地域でも不登校に対する正しい理解を促し、国も進めている多様な学びを普及できるように講演活動も行う。今悩み苦しんでいる学校に行けていない子供たちに「不登校でも大丈夫だよ」というメッセージをこれからも伝えていきたい。

 塩生 好紀