蔵本りささん その3 岡田先生
私の人生に、多大な影響を与えた恩師がいます。
岩国中学校の音楽の先生、岡田先生です。

あれは中学2年生のとき。
岡田先生が音楽の先生として赴任されました。
その頃、生徒の間では
「麻里布中学校から、すごい先生が来るらしい」
と噂になっていました。
私は合唱部に所属していて、顧問も音楽の先生。
2年生から、岡田先生が顧問になりました。
音楽の授業も、部活の時間もご一緒できたのは、本当に幸せなことでした。
岡田先生が来てから、合唱部は3年生のときに中国大会まで進みました。
それも、今となっては大切な思い出です。
先生は合唱に特に力を入れていらして、私たちの代では卒業CDアルバムまで制作してくださいました。
そのことも、今でもよく覚えていらっしゃって、
「あなたのクラスは 『河童と蛙』 をやったわよね」
と、曲名までスッと出てくる。
「あれは三部合唱で、地区の合唱コンサートでは 『三年生なのに三部合唱だって〜』 って、他の生徒の声も聞こえてきてたんですよ」
と話すと、
「あれは三部だけど、とても難しいハーモニーなの。 ある程度歌えるクラスじゃないと、やりましょうって言わない。 あたためていた曲だったのよ」
とのこと。
今さらながら、嬉しさが倍増しました。
あの頃の記憶が一気に蘇ります。
頭の中にハーモニーが鳴ります。
岡田先生は合唱で生徒たちを、学校を変えようと、本気で取り組んでおられました。
卒業の時、校歌をいかに大きな声で、皆がこころ一つに歌えるようになるか。
それをずっと話してくださっていました。
私たちは、講堂に響かせて歌い切った卒業式を迎えたのを覚えています。
それと、特に忘れられないエピソードをひとつ。
中学3年生の頃、私は急に成績が落ち込んだ時期がありました。
それでも友達と遊んでばかりいたある日、岡田先生に呼び止められ、
「蔵本!あんた、成績がえらい落ちとるじゃないかね。 次のテストも悪かったら、一生口聞かんよ!」
と言われました。
当時の私にとって、先生との時間はとても大切で、数少ない、信用できる大人でした。
これは大変なことになった、と本気で焦りました。
このままじゃまずい。
そう自覚して、親に頼んで塾に入り、猛勉強しました。
おかげさまで無事に岩国高校へ進学することができましたが、このときの光景は、今でも鮮明に焼き付いています。

数年前まで、岡田先生は川下中学校の校長先生をされていました。
学校を地域に開かれた場所にしたいという想いから、「けやきジャズコンサート」を何度も企画してくださいました。

昼は子供たちへの演奏、そして夜は地域の皆様への屋外ライブというもので、先生の想いが詰まった素晴らしいイベントでした。
この日は、思い出深い岩国市民文化会館でお会いして、ちょっとの予定が話に花が咲いてしまいました。
定年退職後の今も、音楽を軸にして教育の現場で活躍されています。
私の音楽人生で、なくてはならない大切な恩師です。

蔵本りさ