私が生まれ育ったのは、岩国城を望む城下町でした。
いわゆる江戸時代、上級武士が住んでいたとされる横山地区側ではなく、中級・下級武士と商人の町、岩国地区側です。
江戸時代、この岩国地区の町には 「玖珂町」「柳井町」「米屋町」「塩町」「材木町」「魚町」「登冨(豆腐)町」 といった町名が付けられ、今でもこの一帯を「岩国七町」と呼んでいます。
各地から商人が集まり、岩国の生活の中心として、多くの人が行き交っていた場所でした。
私が幼い頃は、お祭りが賑やかで、商店もまだたくさんありました。
歩けば八百屋のおじちゃんに話しかけられ、市場に行けば揚げ物屋さんの残りを食べさせてもらう。
釣具屋さんでよく歌っていたのも覚えています。
お使いのお金を落としたかで、材木町から魚町まで大泣きしながら歩いたことは、今でも忘れられません。
本気で「ばあちゃんに殺される〜」と思っていましたから。
怒ると、ぶちこわ〜〜い夏子ばあちゃんでした。

臥龍橋通りで今も頑張られている「魚新」の大将と記念写真。
よくお昼にお弁当を買いに行きます。 おすすめですよ。
七町には含まれていませんが、「寺町」と呼ばれる、お寺が立ち並ぶ通りがあります。
その一筋を下った先にある西福寺に、私が通っていた染香幼稚園があります。
音楽教育に力を入れている幼稚園で、いろいろな楽器に触れさせてもらいました。
そして現住職は、バンドでギターボーカルもされているような方。
ご好意で、お寺の本堂を使ってライブイベントをさせていただくこともあります。
まさか、こんな未来が待っているとは思ってもみませんでした。

思ってもみなかったことといえば、この七町にある岩国市観光交流所 本家 松がねで働いていることです。

知人の紹介で「英語を話せる人を探している」という話から、とんとん拍子に話が進み、気づけばあっという間の8年。
働き始めた初日に運び込まれた古い木製ロッカーは、私が夏子ばあちゃんとよく通っていた「五橋湯」の女湯にあった脱衣ロッカーでした。
その瞬間、たくさんの思い出が一気に蘇り、不思議な縁のようなものを感じました。
いろはにほへと・・・と何度も読んだものです。 (今展示しているものは真ん中が抜けてますが)

それから多くの観光客の方、地域の方々との出会いがありました。
あさイチをはじめ、さまざまなメディア対応も経験させていただき、とても貴重な時間を過ごしています。
岩国を離れたくて、アメリカまで行ったのに、「なぜ私は、トラウマだらけのこの場所にいるんだろう」 と、涙が出ることもありました。
岩国七町は、私にとって思い出が多すぎる場所なのです。
それでも、すべての出来事には、きっと意味があるのだろうと考えるようにしています。
大学を卒業する際に「Wherever You Go」という曲を書きました。
どこへ行っても、あなたはあなた自身で変わらない、という歌詞です。
向き合わないといけないのだな、と感じています。
長い間祖母の死を受け入れられなかった私が、鎮魂歌として書いたのが「にしきのゆめ」という曲です。
そのミュージックビデオには、錦帯橋や岩国七町の風景が映し出されています。
よかったら、そっと覗いてみてください。
蔵本りさ