ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 私の岩国 > 蔵本りささん その1 大叔母さん

蔵本りささん その1 大叔母さん

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年12月29日更新
 
皆さん、こんにちは。
 
ジャズボーカリストの蔵本りさです。
 
「私の岩国」へ参加させていただけることを、大変うれしく、光栄に感じております。
 
この文章を通して、少しでも私のこと、そして音楽や岩国への想いを知っていただけたら幸いです。
 
 
 
私には、今年100歳、来年101歳になる大叔母さんがいます。
 
以下、清子ばあちゃんと呼ばせてもらいます。
 

大叔母さん1

 
清子ばあちゃんは、私を幼少期から育ててくれた祖母の妹にあたる人です。​
 
小さな頃から私は歌うことが好きで、父が経営していたお店でマイクを持って歌っている、3、4歳頃の写真も残っています。
 
どのタイミングだったかははっきり覚えていないけれど、当時カラオケ教室に通い、歌にハマっていた清子ばあちゃんが、カラオケ喫茶などに連れて行ってくれたことで、私は演歌を歌い始めたのではないかと思います。
 
 
祖母との二人暮らしでは車もなく、あまり遠出をすることができませんでした。
 
けれど清子ばあちゃんは、「あっちの大会」「こっちのイベント」と、運転して私をいろんな場所へ連れて行ってくれました。
 
私が賞を取るたびに、まるで自分のことのように嬉しそうにしてくれていた姿が、今でも懐かしく思い出されます。
 
 
当時の話を始めると、
 
「あの大会では何年連続で最高得点じゃったかねえ」
「それからしばらくして、子どもはダメってなったんよ」
 
※編集注 あまりに子どもが優勝をさらっていくので、以降のカラオケ大会やのど自慢大会では参加資格に年齢制限が設けられたものもあったそうです。
 
など、私がすっかり忘れてしまっていることまで、よく覚えていました。
 
100歳とは思えない記憶力に、改めて驚かされます。
 
一方で私は、幼少期の記憶がなぜかとても断片的で、叱られた記憶ばかりがやたらと残っているのですが……。
 
それだけに、清子ばあちゃんの記憶力には脱帽です。
 
 
私を育ててくれた祖母、夏子ばあちゃんの話になって
 
「ほんまに、あんたのことをよう可愛がりよったよ」
「男の子しか育ててないから、服も全部仕立ててね。刺繍まで完璧にやりよったんよ」と。
 
そういえば、私の服にはいつも刺繍が入っていました。
 
忘れていた記憶を呼び覚ましてくれて、ありがとう。
 
 
この日一緒に行ったカフェでは
 
「ここはワッフルが美味しいんよ」
 
と清子ばあちゃんが注文して、二人で分け合いました。
 
本当にハイカラさんです。
 

大叔母さん2

 
そういえば、夏子ばあちゃんもモスバーガーが大好きでした。
 
大正生まれの、超おしゃれさんでした。アメリカ行きも背中を押してくれたなあ。
 
周りの人に支えられて、小学3年生から中学卒業くらいまでは演歌歌手として頑張っていました。
 

蔵本りさ

 
当時、切磋琢磨していた同年代の“歌の子”たちは、今では立派な演歌歌手になっています。
 
本当に、素晴らしいことだと思います。
 
私はすっかりジャズ沼にハマってしまって、おばあちゃん達が望んでいたタイプの歌い手にはならなかったけど、こうやって歌を続けていられるのは夏子ばあちゃん、清子ばあちゃんのおかげです。本当にありがとう。
 
 
夏子ばあちゃんは、私がアメリカに発って程なくして亡くなってしまいました。
 
本当に、寂しかった。
 
 
姉妹でも、清子ばあちゃんは今もバリバリ元気な100歳。
 
一人でなんでもできます。
 
 
94歳くらいのとき、突然私の仕事先を訪ねてきて、何事かと思って驚いたのですが、
 
「コーラスでテネシーワルツを歌うから、発音を教えてほしい」
 
それだけの用事でした。
 
いくつになっても、学ぼうとする姿。素敵です。
 
101歳の誕生日が、今から楽しみです。
 

大叔母さん3

 
 
蔵本りさ