岡田先生のおかげで無事に岩国高校へ進学した私は、成績は決して余裕がある方ではなかったものの、野球部応援団に入ったり、プレクトラムアンサンブル部 (通称プレアン部) でギターを弾いたりしながら、高校生活を送っていました。
この頃から聴く音楽のジャンルも一気に広がり、J-POPだけでなく、洋楽のポップスやレゲエ、R&Bなどにも夢中になっていきました。
岩国高校は勉強もなかなか大変で、当時の私は今よりずっと性格もこじれていて、クラスになじめないことも多くありました。
そんな中でも、小学校時代からの幼なじみの「みんみん」とは最後まで仲良く過ごせました。
彼女とは応援団も一緒で、ピアノもエレクトーンも弾ける、とても音楽に詳しい、頼もしい存在でした。
ある時、「文化祭で一緒に何かやろうよ」と自然に話が盛り上がり、同じクラスの「まきまき」という、とても歌の上手な子も加わって、「じゃあ一緒にハモったらいいじゃん」と三人で作戦会議をしていました。
そこに、たまたま通りかかった赴任したばかりの片岡先生が、「俺、ギター弾けるよ」と声をかけてくれました。
「じゃあ、私たちのバンドに入ってください」 そうお願いすると、
「いいよ」 と、先生はあっさり二つ返事で引き受けてくれたのです。

片岡先生は私たちのクラスの担任だったわけでもありません。
今思えば、どうしてあんなに最初から打ち解けていたのか不思議なくらいです。
でも先生は、とにかく明るくて愉快で、人を笑顔にするユーモアのセンスがあり、赴任したばかりの頃からたくさんの生徒に愛されていました。
そうして私たち四人でグループを組み、J-POPや洋楽をジャンルも時代もごちゃ混ぜでやっていました。
片岡先生が書いた曲に、私が詞をつけることもありました。
先生と一緒に曲を作るなんて、今思えばずいぶん贅沢な高校時代だったなと思います。
そんな片岡先生と、実に三十年ぶりに再会することに。
卒業以来ですから、本当に久しぶりです。
お会いできる日が決まってからは、楽しみで仕方がありませんでした。
この企画には、心から感謝しています。
久しぶりにお会いした片岡先生は、髪型は昔とほとんど変わらず、少しスリムになられたくらいで、驚くほどお若いままでした。
今は教頭先生をされているそうで、あの頃の新任の先生だった片岡先生から、しっかりと時間が流れたのだと、あらためて感じました。

再会した瞬間から、話は一気に弾みました。
片岡先生は相変わらずお話が得意で、こちらが笑っている間にも、次から次へと思い出話が飛び出してきます。
美和の牧歌的な風景の中、リラックスした雰囲気での語らいは尽きることがありませんでした。
文化祭での演奏、ライブハウスへのゲスト出演、そして私の渡米前のライブと、楽しい記憶が次々と甦ります。
「先生、私たちのバンド名『クリーニングキャンペーン』って、誰がつけたか覚えていますか?」
「え?知らん。 全然覚えとらん」
「実はあの時、教育実習で来ていた、今の名字でいうと福光先生なんです。 私のジャズボーカルを習いに来ていて、『クリーニングキャンペーン』と名付けたのは私ですって」
「すげー!」
そんなふうに、時を超えてつながるご縁が嬉しいひとときでした。

高校時代、いろいろと思い悩んでいた自分が、どれだけ先生に救われていたのかをあらためて思い出しました。
片岡先生は、私に音楽の楽しさをもう一度教えてくれた人です。
音楽への愛情を取り戻させてくれ、自分の中にある可能性を信じてみようと思わせてくれました。
音楽は、これまで聴いてきたものだけじゃない。 もっと自由に、もっといろいろなことをやっていいのだと、気づかせてくれたのです。
先生は私の音楽人生にとってかけがえのない存在です。

岡田先生の時も驚いたのですが、片岡先生もまた、私たちのことをよく覚えてくださっていました。
あらためて、教職という仕事の尊さを感じた一日でした。
ある高校では音響裏方として演劇部の全国大会出場を支え、教え子の中に演歌歌手として海外で活躍されている方もいらっしゃるとか。
今でも曲を作って教育の現場で披露することもあるそうです。
ただ、今はあの頃のように生徒と直接連絡を取ったりすることができず、「あんな風にバンドを組んでライブをするのは難しいんだろうな」とおっしゃっていました。
そう聞いて、私たちはなんて恵まれた時間を過ごしていたのだろうと、改めて感じました。
ちなみに「みんみん」は東京で音楽を続けていて、お互いによくエールを送り合っています。
片岡先生と話している間に 2人の写真を送ったら、会いたいーー!と返ってきたので、今度はクリーニングキャンペーンで集まれたらいいなって思っています。
先生方、いつまでもお元気でいてください。
蔵本りさ