母校の中学です。

最初はテニス部に入るつもりだったのですが、入部届提出の締切が過ぎてからふと思い立ち、柔道部に変更してもらいました。
仲のいい友達が入っていたからとはいえ、なぜ変更したのか、はっきりとは思い出せません。
結果として、とても楽しい部活ライフを送る事ができました。

部活は体育会系だけど、絵を描くのも漫画を読むのもゲームをするのも大好きだった3年間。
漠然と、漫画家になりたいと思っていたので、必然的に「部活漫画」を描きたい気持ちが生まれます。
私にとって最初のスポーツ漫画は小学校低学年の時からハマった『キャプテン翼』でしたが、中学1年の時に『スラムダンク』が始まり、それが「部活漫画」を描きたい気持ちに拍車をかけ、自分がやっている「柔道」の部活漫画として、当時連載していた『柔道部物語』や『帯をギュっとね!』に出会い、その気持ちが確固たるものになりました。
が、中2の頃だったか、一念発起、オリジナルの漫画を描こうとはしてみたものの、たった1コマ描いただけで挫折。
1枚の絵ではなく、「漫画」を描くというのがいかに難しいかを痛感して、現実逃避するかの様に、ひとまずはただ楽しいだけの部活動にのめり込みました。

最も多感だった中学2年の時はクラスも勉強もつまらなくて苦しくて、3年間を振り返ってみれば思い出したくもない黒歴史ばっかりだった中学生活なのに、今回思い出の地として岩国中学を挙げられる事からも、いかに部活の時間だけは楽しかったか、柔道の楽しさに救われていたかがわかります。

残念ながら岩国中学の柔道部はとっくに廃部になっており、部活動自体も地域移行が進んでなくなっている最中です。
体育会系だけでなく、文化部の活動も地域移行がそう簡単ではないと伺いました。
いずれにしても、子供たちがやりたい事をやれる環境が少しでも整う事を願ってやみません。

中学時代の、「創作」に関する思い出をもう一つ。
中2の時、林間学校のパンフレットの表紙イラストを生徒から募集する、という事がありました。
絵が得意な自覚があった私は、ここぞとばかりに自信満々に描いて提出したのですが、後日、廊下の掲示板の中央で輝きを放っていたのは、別の人の作品でした。
既存の漫画作品のマネに過ぎない自分の作品とは一線を画した、オリジナリティとデザインセンスに満ち溢れたイラスト。
「上には上がいる」という現実をまざまざと突き付けられた苦い思い出。
あまりに惨めで、林間学校休もうかと思ったくらいでした。
しかしここで挫折があったおかげで、その後どんな天才に出くわそうと動揺する事なくマイペースで創作を続けられたとも思います。

30年ぶりに中学を訪れたこの日も、廊下に、同じく生徒から募集したであろう何かのイラストが複数飾ってありました。
最優秀賞には、群を抜いて素晴らしい作品が選ばれていました。
皆さん、めげずに頑張ってください!絵を描く楽しさを忘れずに!