AMM Performing Arts (アムパフォーミングアーツ)
忘れもしません。 13歳の夏。
深夜、あるダンス番組を母と観てるとき、僕がふと発した言葉から全てが始まりました。
僕『母さん、俺プロダンサーになれるかな?』
母『なれるよ〜〜!!』
なぜ、あのときダンサーになりたいと思ったか正直わかりません。
けど、ビビ!っと何かを感じたから母に聞いたのだと思います。
翌日、母が家の近くのダンススタジオアムを見つけてきてくれました。

その当時、黒人と日本人のハーフということに強いコンプレックスを感じてました。
ダンスを始めることによって、そのコンプレックスがなくなるのではないかと希望を持ってました。
ダンスは日本の文化ではなく、海外の文化。
だからこの見た目の僕でもやってもいいんだ、とダンスに助けを求めていたのだと思います。

アムには13歳から18歳まで週6で通いました。
勉強なんて1ミリもしませんでした笑
ダンスで生きると決めていたので、部活も早々にやめ、友達ともあまり遊ばず、没頭してました。
よく学校を休んでいましたが、休んだ日もダンスだけは休まず行ってましたね笑
ヒップホップ、バレエ、ジャズ、ロック、ハウス、コンテンポラリー、、
様々なダンスを学ばせてもらい、沢山の人と関わり、沢山友達ができ、沢山いい思い出ができた場所です。
母は天国に行っちゃってもうこの世にはいませんが、超絶貧乏だったのに高い月謝を毎月払ってくれて、送り迎えをしてくれました。
感謝してもしきれません。 神様より神様だと思ってます。

ダンスをすることにより、人生迷わず進めてきたし、沢山の人にも出会え、沢山幸せを感じてこれました。
ダンスをやってなかったら絶対にグレて、どうしようもない人生を歩み、強いコンプレックスも払拭できず、路頭に迷ってたでしょうね。。
そのくらい僕にとってダンスの存在は大きいですし、アムという場所は偉大です。
ダンスの恩師に感謝です。

子供の頃は、早く岩国を出て東京に行きたいと思って生きてきました。
でも今は、ダンスを続けることにより、アムがある岩国、ダンスを始めた岩国、育った岩国に何かしら還元して、岩国のためになることができれば幸せだな、と感じるようになりました。

僕の『私の岩国』の記事は、アムをもって最後の場所、記事になります。
この記事を見てくださった方々は、岩国だけではなく色々の場所で生きている人たちだと思います。
あなたの生まれ育った街はどんな街ですか? どんな思い出がありますか?
いい思い出、嫌な思い出、色んな思い出があると思います。
どんな思いでそこで暮らしきましたか? 暮らしていますか?
好きですか? 嫌いですか?
生まれた場所、育った場所。 全ての思い出があなたをつくってるはずです。
たまには帰ってみてください。 たまには思い出してみてください。
そして、ずっと大切にしてください。
記事を見てくださってありがとうございました。

※次週、川本アレクサンダーさんの最終回「ロケ風景の回」を公開いたします。
お楽しみに!