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スエヒロ食堂 増冨祐司さん6

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 最終回は岩国のソウルフード、スエヒロ食堂のラーメン。ここは岩国に帰るたびに父が連れてきてくれました。でもどんな味だったかは完全に忘れています。どんな味だったかなあ。 

 

 

スエヒロ食堂の外観の写真

 

 

 最近、テレビに出たとかで人気があるらしく、昼に行くと並んでいる人がいました。 

 

 

店内のマイクの写真

 

 

 店内に入ると、なんか思い出してきました。入口でオーダーしてそれを店員さんがマイクで奥の厨房に伝える独特のスエヒロスタイル。今も変わらずですね。 

 

チケット?の写真

 


 そしてチケット??をいただく。これも変わらず。 
  

スエヒロのラーメンの写真

 

 注文して間も無く、きたー!背脂たっぷりの直麺系ラーメンだったんですね。それさえも忘れていました。 

 

ラーメンを食べはじめる増冨さんの写真

 

 

 さて頂きます。 

 

ラーメンを食べる増冨さんの写真


  
 スルスル。 

 

ラーメンを味わう増冨さんの写真

 

 
 ほうほうほう。なんと表現していいのやら。美味しいのは間違いないですが独特の味ですよね。 

 

 

空になったラーメンの器の写真

 

 


 完食です。美味しかったー!大満足です! 

 さて、今回で私の「私の岩国」は最終回になります。ここまでお読み頂きありがとうございました。そしてこのような貴重な機会を頂き、担当の方をはじめ、関係者の皆様には心より感謝申し上げます。このところは岩国に帰るのは親戚の法事ぐらいとなっており、大人になってから岩国をゆっくり巡るのはこれが初めてだったと思います。今回の取材では自分のルーツを辿ったり、これまで行けなかったところに行ったりと大変充実したものとなりました。この取材を通して岩国のことがもっと好きになりましたし、もっともっと岩国のことを知りたいと思うようになりました。幸い家族も岩国をとても気に入ってくれたみたいで、今後はちょくちょく訪れることができればと思います。ありがとうございました。 

 最後になりますが、この「私の岩国」に出させて頂くことを一番喜んでくれたであろう父、博にお礼を。彼は私が大学院修士課程のときに52歳で残念ながら他界しました。彼は岩国で生まれ育ち、子供の私にも彼の岩国愛が伝わってくるぐらい岩国を愛した人でした。なので私がこの「私の岩国」を書くことになったことを父が知ったとしたら大喜びしてくれたであろうことは想像に難くありません。ほとんど岩国のことを知らない私がこの「私の岩国」を書けたのは、彼が毎年私たち家族を一人で運転して岩国に連れて来てくれたからであり、彼の岩国愛が私を通じて間接的に表現されただけということもできるかと思います。その意味で今回は「私の岩国」ではなく、「父と私の岩国」というのが相応しいかと思います。本が大好きだったお父さんへ、理系男子が書いた駄文ですがこの「父と私の岩国」をあなたに送ります。 

 

お父様と双子の兄弟の写真

 ↑父と私と双子の弟です。甲子園に連れて行ってもらった時の写真ですが、どちらが私かわかりません・・・。帽子・シャツ・時計まで同じですね。父は熱烈な阪神ファンでした。天国でもタイガースを応援しているのかな。

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                                                                             増冨 祐司