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夏の思い出(楠町 井堰)増冨祐司さん1

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 皆さんこんにちは。私は国立環境研究所という国の研究所で研究員をしております増冨祐司です。今回は「私の岩国」にお声掛け頂き、身に余る光栄でございます。 

 

 ただこのお話を頂いた時、大変嬉しかったのですが、同時に私でいいのか?というのが率直な感想でした。というのは私が岩国に住んでいたのは、生まれてから1年足らずだからです。なので"岩国生まれ"であるのは確かなのですが、ほとんど岩国に住んでいたことがないのです。そのような者が、この岩国愛溢れる「私の岩国」に寄稿してよいものかどうか……。少々悩みました。私の岩国の記憶といえば、小・中学生の頃、毎年夏のお盆休みの数日間、岩国出身の父・母の帰郷で訪れていた真夏の岩国の記憶だけになります。それでもよいかと担当の市職員さんにお尋ねしたところ、構わないとご返答頂き、この度寄稿させて頂くことになりました。先ほどほとんど岩国に住んだことがないと申し上げましたが、それでも岩国のことは大好きです。さてそれではまずはその夏の岩国に向かうところから出発です。 

 

 父が転勤族だったせいで小・中学生の時、東京、和歌山、奈良といくつかの場所に住み、そこから毎年夏のお盆休みに父の運転で岩国に家族で向かっていました。今考えるとある時期は東京から岩国まで10時間以上掛けて一人で運転していたのですから父は大したものだなあと思います。車で掛かっていた音楽は決まってカーペンターズ。なので岩国と夏の思い出とカーペンターズは僕の中ではリンクしています。 

 

 今回は現在私が住んでいるつくば市から東京に向かい、そこから夜行バスで岩国に向かいました。朝、目が覚めると少し曇り空でしたがあの時と変わらない青と緑の入り組んだ瀬戸内海の様子が車窓一面に広がります。ああ、岩国に来たんだなあと実感しました。 

 

車窓から見える瀬戸内海の写真

 

 
 岩国の夏の一番の思い出は、父の実家近くにある井堰での水泳です。当時住んでいた東京・和歌山・奈良には近くに泳げる川はなかったので、兄弟3人(一つ上の兄と僕と双子の弟)に加えて、同じく盆休みに帰ってきている従兄弟を加えて、ここで水泳をするのが楽しくて仕方ありませんでした。 

 

井堰の写真

 

 
今でも相変わらずの透明度ですね。 

 

井堰の中の急流

 

 

ここは急流になっていて面白いんです。 

 

井堰の写真を撮る増冨さん

 

橋の下の写真

 

橋の下にも入ったりしてました。危ないですよね……。

 

  

楠木群の写真

 

楠群の下を歩く増冨さん

 

大きな楠の写真

 

 

 河川敷には大きな楠木。当時はあまり意識しませんでしたが、改めて見ると大変立派な楠木ですね。このあたりは楠町という名前なので、まさにこの町のシンボルツリーですね。ただこの楠木群は大変珍しいらしく、どうも昭和55年には山口県の天然記念物に指定されていたのですね。当時はそんなこととは露知らず、夏の暑い日にこの木の下だけは涼しかったなあという感覚だけが甦ります。 

 

 岩国には小中学生の頃、夏のお盆休みの数日間だけの滞在なので、父の実家近くに何があるかもほとんど知りませんでした。今回の取材では米軍基地近くのサンドウィッチのお店SAKOに連れていってもらいました。うまい!!こんな近くにこんな美味しい店があったなんて!今度岩国に来ることがあれば、また来よう。いやー岩国っていいなあ。

 

カツサンドの写真

 

 

 パンにカツとレタスを挾んだだけのシンプルなサンドウィッチなのですが、大変美味しいんですよねえ。連れて行って頂き、ありがとうございました! 

 

                                                                      増冨 祐司