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「高水学園」 フリオ ミステリオさん その2

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

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中学・高校時代に勉学に励んだ学び舎、愛宕の杜の高水学園。

入学式では「芸城学院」という塾で一緒に学んだ各地域の悪ガキ共が一堂に会して、塾の延長みたいで楽しかったです。

毎朝、南岩国駅から長蛇の通学生を校門で出迎えてくれる、体育教官で風紀担当の先生の「おはよう!」の元気な(かなり元気な)声に生徒も「おはようございます!」と元気なお返事。
中学時代にはこの先生が怖かったんですが、怖いもの知らずの同級生の某君がみんなの「おはようございます」の声に紛れて、スキンヘッドの先生にお辞儀しながら「ツル○△□!」と元気な笑顔でご挨拶。
先生はニコニコ顔で元気に(かなり元気に)「うん、おはよう!」
そばにいた生徒はみんな下を向いて笑っていた毎朝のこのやりとり、すてきな笑顔の先生はとっても人間が大きかったんですね!?

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一応お受験に合格して入学しまして、一応山口県屈指の受験校ということで、中学一年からすでに受験レースに参加する付属中学。
当時は特進クラスと呼ばれて、「受験に必要なもの以外はNG」という暗黙のルールのようなものがありました。
時間割も月〜金は午前4時限&午後3時限、中でも特に英語の授業がてんこ盛りで、英文法の試験は問題用紙4枚(内、長文問題が3枚)、試験時間2時間という試練でした。

 

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ただ、みんなガリ勉君という感じではなく、かなり自由な感じで、授業中にずっと窓から米軍基地を眺めていて、成績順位は学年の後半を指定席にしている級友もいました。

当時はオスプレイやF-35Bの前身で、垂直上昇するハリヤーという戦闘機が配備されて轟音を響かせての発着訓練が窓の向こうに見えていました。

 

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当時はそんな校風なので、クラブ活動はダメ!とは言われませんが、かなりやり辛い空気でした。なので私は迷わず剣道部に入部。

ところが、入部したその日に「間違えた!」と思ったのは、剣道部の顧問が、生徒たちの間で鬼と恐れられていた英語の先生だったのです。

 

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丘の上の一段高い第二校舎の学食あたりから見える第一校舎の橋のすぐそばにあった購買店は昼休みの溜まり場で、テトラパックのコーヒー牛乳やヤクルトジョア(いちご味)が定番でした。

そしてこの橋が剣道部の活動時間には地獄の橋に変貌します。

橋の上で応援団に負けない発声練習をするのですが、ここから「イェー」と叫んで、帰宅中の校門あたりにいる生徒が振り向いたらOK。
これって最初のうちは振り向きますが、だんだんみんな慣れてきて、5人目くらいからは声が聞こえても振り向いてくれません。
何でも人より前に出て、先んじて結果を得る!そんな教訓を得ました(笑)

 

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そして、発声訓練が終わると校門を出て、東洋紡の煙突を目標に、蓮田の畦道をみんな一列でランニングです。

今にして思えば実にのどかですてきな、映える画ですねー!

 

高校1年で陽の当たらない剣道部から陸上部に移籍しましたが、やはり練習に参加するのは午後5時頃からで、みんなが既にタイムトライアルをしている側でウォーミングアップを始める、といったスロースタートの毎日です。当然走り込みも足りないので、100&200メートルの短距離をやっていました。
県大会の100メートルレースでも、スタートから50メートルくらいまでは負けないのですが、80メートルあたりでどんどん追い抜かれて涙をのんでいました。​

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久しぶりに訪ねた母校のグラウンドの100メートルのメイントラックが草ボーボー! 
新型コロナの影響で、しばらく使われていなかったからだそうで、ここでも憎き新型コロナ。

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まけるな岩国(弘兼憲史さん)
https://youtu.be/VfGUIyP64-A

 

高水学園の先輩、「課長・島耕作」の作者 弘兼憲史さん、カシワバラコーポレーションの柏原会長と一緒に岩国の新型コロナを祓う「まけるな岩国」の活動をしています。多少のお役に立てたら幸いです。

新型コロナに、まけるな高水学園・まけるな岩国

 

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後輩のみんな、少し顔が引きつってる? 新型コロナのせい?
あ、私ですか? こんな先輩でLo Siento Mucho.  Ole!

 

​                                 フリオ ミステリオ