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三浦由子さん 「私の岩国」ロケ風景

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 今回、出演していただいたのは幻のオリンピアンの三浦由子さんでした。

〇美和中学校
今回の訪問にあわせて、サプライズで三浦さんの同級生3人が集まってくれていました。しかもそのうちのお2人は同じ体操部で汗を流した仲ということで、昔話に盛大な花をさかせておられました。三浦さんたちの世代は女子体操部創部1年目の部員ということで、選りすぐりのメンバーが集められたそうです。中には三浦さんのように、途中でスカウトされて入部する人もいました。創部当時の学校の熱量が感じられるようです。

 

同級生との歓談の様子

同級生との歓談の様子2

 

〇北中山小学校
現在は休校となっており、取材時には校舎内に立ち入ることはできませんでしたが、隣接した北中山交流館は北中山こども神楽の練習場になっているということです。自宅のある二ツ野地区から小学校までの道は、実際に取材時に移動しましたが、かなりの山道でした。しかも三浦さんの通学には、途中から車も入れない細い道に分け入って通っていたそうです。距離にして片道約4キロを、悪天候でも毎日、通学されていたということで、三浦さんの類まれな身体能力はここで養われたのだと実感しました。

小学校あとちの写真

 

〇白羽神社
三浦さんの生家の近くにある、地元の神社です。取材当日に対応していただいたのは、白羽神楽保存会会長の巻郷満さんと、そのお父さんの哲夫さんです。神楽の衣装まで用意していただいていて、三浦さんも試着されましたが、その重さに驚かれていました。そして哲夫さんからは、神楽を伝承していくために、いろいろと努力しているという説明をしていただきました。地域の人々にとって身近な存在だったという神楽が、保存会や地域の方々によって存続されているということに、三浦さんも嬉しそうでした。

北郷さんとの歓談の様子


 
 三浦さんに体操生活の中で心に残っていることを伺うと、一番うれしかったのはオリンピックへの出場が決まったときで、一番悲しかったのは日本選手団がボイコットすることになり、オリンピックに出場できないことが決まったときだったそうです。日本代表として合同合宿参加中にその一報を伝えられた三浦さんは、合宿の途中であったにもかかわらず荷物をまとめて帰ってしまいます。そんな三浦さんに対して周囲の人たちは、合宿から戻ってきた翌日から何事もなかったように接してくれて、オリンピックのことは一切、話題にのぼることはなかったといいます。三浦さんの気持ちに配慮した、周りの方々のやさしさだったのだと思います。そして三浦さんご自身も自ら語ることはなく、最近までご家族にもその話はまったくしてこなかったそうで、オリンピックを見ることすら避けていたほど。オリンピックへの道が閉ざされてしまったことが、どんなに重く辛いことであったかわかります。
 

松本さんの昔の写真
↑当時の三浦さんの写真(美和町史より)

 

 そんな三浦さんの心境に変化があったのは最近のこと。東京オリンピック2020が開催されるにあたり、聖火ランナーの一人に選ばれたのです。そしてモスクワオリンピックで出場できなかった選手がいるということを、伝えていかないといけないと思ってからようやく当時のことを語れるようになったそうです。

今回の取材では思いがけず、行く先々で三浦さんのお知り合いとの出会いが待っていました。久しぶりに帰郷された三浦さんを、歓迎し懐かしむ気持ちが伝わり、取材班も温かい気持ちになりました。嬉しいことも悲しいことも、すべて理解して受け入れてくれる地域の絆というものを、改めて教えてもらった気がします。

また、今回は本文中にもあったように、愛宕山スポーツコンプレックス内の「55(ゴーゴー)フィールド」で行われた、日米親善絆リレーマラソンにも三浦さんは参加してくださいました(実のところ絆リレーマラソンへの参加が先に決定していて、「私の岩国」の取材は付属的なものでした)。
 

トーチを持つ三浦さんの写真


 本文中では、聖火リレーが中止になってしまい、「またしてもオリンピックは私の手をすり抜けてしまいました」と三浦さんは無念さを表現されていましたが、今回の絆リレーマラソンの開会式で、聖火ランナーに選ばれていた福永陽果さんとトーチキスをしていただきました。開会式の後は「55フィールド」内のランニングコース1.3キロを、笑顔で走りきった三浦さん。


三浦さんのご健康と、これから益々のご活躍を祈念いたします。
今回は出演ありがとうございました!