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私とオリンピック 三浦由子さん その6

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 私は1980年のモスクワオリンピックの日本代表になりましたが、日本の参加がボイコットとなり出場できなかった悔しさを40年経った今でも忘れることはありません。このことで私の人生が大きく変わったことは間違いありません。

 

競技中の三浦さんとオリンピック日本代表に選ばれた際の通知書の写真

 

 
 2020年オリンピックが東京開催に決まった時に、折角日本で開催するなら何らかの形でオリンピックに関わりたいと強く思いました。そんな時に聖火ランナーの募集を知り、出来ることなら故郷岩国に感謝を伝える為に走りたいとの思いで応募しました。その夢が叶って数千人もの応募者の中から選んでいただき、大変光栄に思いました。

 オリンピックの重要なイベントの一つである聖火リレーに参加することで、40年前の悔しさ、無念さを少しでも晴らしたいとの思いと、時が経ち忘れ去られようとしているモスクワオリンピックボイコットの事実を風化させない為にも、この機会を通じて発信したいと思いました。後に続くアスリート達に同じ辛さを味合わせない為にも、我々は伝える使命があると思っています。

 コロナ禍で開催が危ぶまれていた東京オリンピックですが、一年延期となった聖火リレーも福島から無事スタートし、安堵しました。ゴールデンウィークも過ぎ九州から山口に入り、いよいよ3日前に迫った夕刻、突然聖火リレー中止のニュースが舞い込みました。急激な新型コロナウィルス感染者の増加により、山口県東部のみ全面中止の決定がなされたのです。その知らせを聞いて呆然として言葉も出ませんでした。当日はトーチを持つことも、ユニフォームを着ることさえ叶わずに本当に残念な気持ちでした。またしてもオリンピックは私の手をすり抜けてしまいました。
 オリンピックのボイコットもパンデミックも歴史的に見ても100年に一度あるかないかの出来事です。それに二度も出くわすということは、運が悪いとしか言いようがありません。

 思いがけず今回、岩国市で2021年12月5日に行われた日米親善リレーマラソンにご招待いただきました。
 日米親善リレーマラソンは、岩国市が米国のホストタウンであることから、日米交流事業の一つとして開催されているものです。会場の「55(ゴーゴー)フィールド」は、平成30年に利用開始されたという新しい施設です。このたびの日米親善リレーマラソンには、日米あわせて136チーム約1,400人の方が参加されたそうです。

 

絆リレーマラソンでの記念撮影

↑記念撮影。左からもしか設楽さん(設楽悠太さんのものまね芸人)、森崎浩司さん(サンフレッチェ広島アンバサダー)、福田市長、三浦由子さん、福永陽果さん(岩国市選出の聖火ランナー)

 

 開会式では、一度もお披露目できていないトーチキスをこの機会にとのお計らいを頂き、喜んで参加させて頂きました。

 

開会式でのトーチキス
 

 当日はお天気にも恵まれて絶好のマラソン日和でした。久しく走ることをしておりませんでしたので走る前まで心配でしたが、1.4kmをゆっくり無事に走り終えることができました。ご一緒した福永さんは岩国中学校で陸上部だそうですので随分と物足りなかったのではないでしょうか。

 

トーチを持って走る三浦さんの写真


 
 今回「私の岩国」の取材で、一日かけて美和を回り、改めて故郷の素晴らしさを再発見することもありました。懐かしい友人に会え、また行く先々で温かく迎えて頂きましたことを大変うれしく思います。
心癒された素敵な一日となりました。本当に有難うございました。

                                          三浦由子