美和町は2006年の市町村合併で岩国市の一部となった市内東部の山間地で、今の人口は3,500人 程です。私の生まれた二ツ野地区は、美和町の中でも奥深く広島との県境に位置し、海抜約4百mですので夏は涼しく冷房いらずですが、冬は雪も積もり外に出るのも大変です。
今では過疎化が進み、少子高齢化もあいまって限界集落に近づきつつあります。
我が家は元々広島市内に住んでいたのですが、昭和20年に戦況の悪化から父の実家であるこの地に疎開しました。ここにこなければ親兄弟は原爆にあっていたでしょうし、私も生をうけなかったかもしれません。私はここで生まれて、中学校卒業までを過ごしました。
当時は、近所にも多くの子供がいて賑やかでした。毎日暗くなるまで外で友達と遊んでいました。野山を駆け巡ったり、木登りや崖登りなど今考えると結構危ないことをしていたと思います。運よく大怪我にはあっていませんが、小さな怪我は数知れずでした。
山の食べ物には恵まれていて、春には裏の山で筍や山菜が採れ、夏には無花果、ざくろ、秋になるとりんごに栗や柿などおいしいおやつが沢山ありました。ゆず、山椒などの調味料やお茶、松茸などの食べ物も家の周りにありました。鶏を飼っていたので、卵や鶏肉も自家製です。また、蜜蜂から蜂蜜も作っていました。
季節ごとの自然の中で食べて遊んだ生活が懐かしく思い出されます。コンビニやスマホなど便利なものは無い時代でしたが、何一つ不自由は感じず、今と比べても豊かな生活を送った気がします。今の実家は誰も住んでいません。少し残念な気持ちです。
三浦由子