今回、登場していただいたのはボーカリストのLino(りの)さんでした。
〇麻里布中学校
今年(令和3年)の3月には立志式でLinoさんが講演を行ったということで、校長先生や生徒さんたちとも顔なじみの中での取材。「私の岩国」の取材では珍しい状況です。テニス部の練習も見学しましたが、訪問したのは8月上旬という暑い盛り。部員の方は真っ黒に日焼けされていました。Linoさんも学生時代は太陽の下、汗を流されていたんでしょうね。
〇麻里布第4街区公園
ご自宅の近くだったため、Linoさんがよく遊んだという公園。エピソードをお伺いすると、意外にお転婆だった幼少期だったようです。今回の取材は午後の暑い日差しを避けて、午前中と夜と分けて取材しました。そのためLinoさんの衣装も途中で変わっています。
〇バー・「Piano(ピアノ)」
その名前のとおり店内にはグランドピアノが置かれています。取材時にはマスターのピアノ演奏をバックに、Linoさんが「マイ・ウェイ」など歌ってくださいました。生で聴くその歌声は、さすがの迫力!圧倒されてしまいました。
Linoさんが歌手になろうと決心したのは、偶然、脳梗塞などが発症する危険性のある難病「もやもや病」であることが分かったからでした。
普通ならショックで後ろ向きな気持ちになりそうな状況にも関わらず、「病気は人生最大のピンチだが、自分の人生を変えるチャンスでもある」と考えて、かねてからの夢だった、歌手になることを目指すことを決められたそうです。
驚くのは、そうして決心をした7か月後には初ステージに立ち、1年後には1st.シングル「Lino」をリリース、2年後には広島フラワーフェスティバルにゲスト出演した、そのスピードです。
その後もKRYラジオ・周南FMラジオのパーソナリティを務めたり、東京・大阪でのワンマンライブの開催、楽曲がCMに使用されるなどと、ものすごい勢いでその夢を叶えられています。
どうしてそんなに順調にいったのか、取材する中でお話を伺って、特に感じたのは周りを引き込んでいく力です。難病であることが分かって、悩んだ時期があったと思いますが、それを感じさせない明るさで、笑って前向きにチャレンジし続ける姿勢は、周囲の人々に大きな影響を与えています。
「私の周りでチャレンジしようという方が増えたんですよ」とLinoさんは笑います。そこには自分だけが前向きに行動するのではなく、周りを引っ張っていく力を感じました。
そのためか、今回取材で訪れた場所でお会いした方の多くは、Linoさんを応援したいという気持ちであふれていた気がします。
現在は「Yamaguchi盛り上げようプロジェクト」として、2022年3月20日に実施される野外コンサート「NANA NO MOE2021」の準備に忙しいLinoさん。
もともとは今年(2021年)9月に開催予定でしたが、新型コロナ感染症の影響で来年に延期されたものです。この「NANA NO MOE」はクラウドファンディングで資金を募り、地元高校生や伝統の和太鼓の団体と一緒に作り上げているコンサートで昨年(2020年)に、Linoさんのデビュー5周年記念として初開催されました。
↑昨年の「NANA NO MOE」の様子(Linoさん提供)
↑昨年の「NANA NO MOE」の様子(Linoさん提供)
忙しい中でも、今後は「神楽に挑戦してみたい」などと、さらなるチャレンジに意欲を見せていたLinoさん。
「NANA NO MOE2021」が無事に開催されることと、これからのさらなる飛躍を祈念しております。
今回はご出演ありがとうございました。