この玖西盆地から一歩も出なかったというわけではありません。同い年の従弟が岩国の麻里布にいましたから、学校の春休みと夏休みには必ずと言っていいほど互いに出かけて行ったものです。
↑同い年の従弟とその弟
行き来に利用したのは言うまでもなく「岩徳線」です。
↑周防高森駅
↑玖珂駅に続く線路
周防高森駅を出発し玖珂駅を過ぎて、まもなく待ち受けるのが欽明路トンネルです。トンネルの上は亡き父が少年時代に行き来した峠道です。
↑蒸気機関車は50年前の昭和46年を最後に姿を消した
通り抜けるのに5分を要するトンネル内には僅かな電球がついていましたが、暗闇の中にずいぶん長い間閉じ込められた思いでした。その間蒸気機関車が吐き出すスス交じりの黒煙を、暑い夏も窓を閉め切って避けようとするのですが、後で鼻をかめばチリ紙は真っ黒になったものです。
↑現在はディーゼル車
やっと柱野駅の手前でトンネルを抜け、川側にだけ丸い穴の空いたトンネルに気付いた頃には、少年時代の私にとって唯一の都会、いとこの住む「岩国の街」がもう遠くはないと、休みの解放感とともに実感されたものです。
↑麻里布(中通り)商店街
↑商店街に60年前の面影はない
今は無き賑わいと喧噪の「麻里布商店街」の近くにあった従弟の家を拠点に、田舎者の引け目を感じながら近所でローラースケートなるものを初めて体験したり、錦帯橋の花見に出かけたり横山の武家屋敷跡界隈をわけもなく走り回ったりしたものです。
↑旧目加田家住宅
↑漂う梅の香り
↑横山界隈
つい帰りが遅くなって、心配していた叔母に従弟が叱られたりすると、共犯者の私は傍にいて戸惑うばかりでした。
遊びに夢中になっていると時間はあっという間に過ぎてしまうのですが、それでも子供の頃の一日は、今よりずっと長かったのはどうしてでしょうか。不思議でなりません。