この玖西盆地の中に母校の高森小学校や中学校があり、幼稚園に行かなかった私にとってここが初めての集団生活の場となりました。今も小学校一年三組のクラスメイトをフルネームで覚えているのはそのせいでしょうか。
↑高森小学校旧校舎
通学距離凡そ2キロは平均的で、暑い日も寒い日も雨の日も風の日も9年間土埃のデコボコ道を、友とともに走ったり喋ったり、ある時は一人でトボトボ歩いて通ったのです。
↑現在の高森小学校
学校のそばの鎮守の森に祀られた八幡様。社につながる石段を、私たち中学・柔道部は心身を鍛えようと冬の日も裸足で上り下りし、運動会の前には全校生徒がこの階段に腰を下ろして応援リーダーの指揮に従い声を上げ拍手を送って練習を重ねました。
↑鎮守の森
↑八幡様(椙杜八幡宮)の石段
↑八幡様の社
旧山陽道を挟んで家並が続く高森の町。かつて、道の中央には細い水路が設けられていました。その西端に、菅原道真を祀る高森天満宮があります。
↑町の西方を望む
↑高森天満宮
その頃の「天神祭り」は秋の田舎の一大行事で、学校も早めに終わりました。親からもらった僅かな小銭を手に友達と誘い合わせて人ごみの中へ向い、露店の賑わいの中で展開される「バナナのたたき売り」や、切り傷からの出血が瞬く間に止まる「怪しい薬のタンカ売」を面白がったりしたものです。
↑かつての高森天神祭の様子
夏休みに入ると、久田橋の下を流れる島田川に泳ぎに行くのが日課でした。町営プールが設営される前のことで、子供たちは川の水に浸かって午後の猛暑をやわらげたのです。
↑久田橋と島田川
↑川の流れも橋も姿を変えた
水をかけあって戯れる女の子や泳力を競う男の子、天然のアユを追う者や夜中に川を遡上してくるウナギを狙って仕掛けを準備する者もいました。もっとも私は泳ぎは少々得意でしたが漁のほうは全くダメで、もっぱら二人の兄が捕ってきたアユやウナギが刺身や蒲焼になって夕方の食卓に上るのを楽しみにしたものです。
今の時代、天然物にはとても手が届きませんから、私たちは幼くして極上の食材を味わっていたことになります。向山で採れていたマツタケもその一つです。
↑水晶を取りに行った大黒山(標高323メートル)