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「地元で見つけた天職(高森整骨院)」 塩生好紀さん その4

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年11月13日更新

 第4回「地元で見つけた天職(高森整骨院)」

高森整骨院

 

 野球が大好きだったのは良いものの決して体は強くなく、よく風邪をひいたり怪我をしたりしていた。市外の高校に進学し、レベルも上がり、入学早々怪我をしてお世話になったのが、周防高森駅前に開院約17年経つ高森整骨院だった。友人と一緒にドキドキしながら行ったが、院長先生もスタッフの方も気さくでアットホームな雰囲気で初めて来たような気がしない感覚だったのを今でも思い出す。スタッフの皆さんが気さくなだけでなく、行くたびにお会いする地域住民の患者の皆さんにも顔を覚えられ「にいちゃんどこの高校ね。」「はよ治して頑張りんさいよ。」「野菜たくさん採れたけ持っていかんね。」と話しかけてもらい、怪我で辛い時期もあったが、整骨院に行くことはいつしか楽しみに変わっていた。院長先生も施術の腕が確かなのは言うまでもないが、たわいない世間話や冗談話で治療中も常に笑わせてくれていた。時には練習やトレーニング、勉強の発破をかけてもらったり、親には話せない恋愛相談にも乗ってくれていた。
 アスリートとして怪我をしないことが一番だが、怪我がきっかけで素敵な先生や地域の患者の皆様と出会え、そして天職に巡り会えたことは今となれば心から嬉しいことだった。  

高森整骨院+吉田先生 <高森整骨院>                             <院長吉田先生(右側)>

 高校2、3年生になってくると進路のことも考え出し、夢だったプロ野球選手も難しい現実があった。院長先生に関わって頂いた経験や働いている様子を見て、怪我を治したり痛みを和らげられる仕事に就きたいと思い始め、治療中に根掘り葉掘り色々と聞いていた。また、野球選手を始めスポーツ選手にも関われる仕事であったので、高校3年生でリハビリやスポーツ分野の資格を取ることを決心した。高校野球は残念ながら甲子園には行かれず引退が決まり、野球生活が終わった悲しさと悔しさが冷めやらないうちに院長先生に報告とお礼に行った。その時に「部活終わって退屈だろ?勉強がてら整骨院を手伝ってみないか。」とお話を頂いた。高校生の自分に何ができるのか不安しかなかったが、大変光栄なお話に二つ返事で答え、その後、約半年間手伝わせて頂いた。
 朝、院の鍵が開く前から列をなして待っている方々を目の当たりにして、改めて院長先生の人気ぶりに驚いた。私と同様、怪我の治療もだが、先生とのお話を楽しみに来られている方も多く感じた。高校生の頃から多世代かつ様々な症状の患者様と関わりを持てて、本当に貴重な経験だった。その経験が、国家資格養成校進学後に大きな自信にもなっていった。

 学生時代の塩生氏
<理学療法士養成校学生時代の塩生>

 怪我を治すことは最重要な役割だと思うが、怪我をしないことや痛みを防ぐ「予防」の取り組みが重要なことを、沢山の患者様に関わる中で気付かされた。自らが治療されている頃は、自分でストレッチをすること(セルフケア)など院長先生に何度言われていても正直怠っていたが、医学的・科学的な勉強をすればするほどその大切さに気付かされた。現在は、理学療法士としてスポーツをしている学生やプロ選手、企業の健康経営支援、地域での介護予防など予防医学に基づき老若男女の健康づくりを支援している。一人でも多くの方に「予防」「未病」の大切さや価値に気づいてもらえるように取り組んでいる。

健康増進施設 
<塩生が現在運営する健康増進施設>

 高森整骨院へ通院したこと、お手伝いさせて頂いたことをきっかけに院長先生やスタッフ、患者の皆様から沢山の刺激や学びを受け、今の仕事にたどり着くことができた。国家資格は取ったものの、資格や技術よりも人として大切なことを院長先生に自然と教わっていたと感じている。同じように自身が経営する会社の職員や資格取得を目指す学生などに、その教えを精一杯伝えていけるように意識している。日々、仕事が楽しいと感じられていることがこの上なく幸せだと思う。そんな天職に気付かされたここ地元に健康を通じた貢献ができればと考えている。

塩生氏と吉田先生

  

 塩生 好紀