ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 私の岩国 > 米軍基地と大楠のある井堰 光井純さん その3

米軍基地と大楠のある井堰 光井純さん その3

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 岩国は米軍基地と共存する街である。高校時代までずっと岩国で生活した者としては、岩国市民と米軍関係者の関係はそれほど悪くなかったのでは、と思っている。岩国は戦前、帝国海軍の航空隊基地として建設され、その後連合軍に接収されて、今は米国海軍と自衛隊に共同利用されている。小さい頃から街には米軍関係者が溢れ、黒人や白人の兵隊さんはそこら中で見かけた。私が住んでいた門前は基地のある川下からは川一つを隔てただけの隣町で、父が「ふそう」という名のスーパーを経営していたこともあって客にはアメリカ人も多く、彼らに対しては憧れこそあれ、ネガティブなイメージはまったくなかった。

フレンドシップデー写真

 

 幼い頃の親友はアメリカ人のジョージ君で、面白いおもちゃを持っていたことと、彼の母親がいろんなものを食べさせてくれたこともあって、毎日のように遊びに行っていた。いつかアメリカに帰るとは聞いていたものの、ある日突然引っ越してしまい、誰もいなくなっていた家に行った時には大きなショックを受けた。幼い頃の私にとって、アメリカ人の彼らは気さくで大らかな人たちであった。それから、当時の基地開放日に遊びに行ったことを覚えている。この世のものとは思えないほど美味しいアイスクリーム、ミッキーマウスの映画、戦闘機のコックピットの試乗など、初めて体験する“米国”は羨望であったし、のちに私が米国留学を絶対に実現したい、と思ったのもこうした体験があったからかもしれない。

イェール大学写真

 

 ほかにも米軍基地と岩国市民との関わりは深い。福田市長が推進する「英語交流のまちIwakuni創生プロジェクト」も岩国の未来に大きな良い影響を与えるに違いない。実は、米軍基地の中には名門メリーランド州立大学があり、日本人も英検準一級の実力を持って面接に合格すれば入学することができる。もともと兵隊のための夜間大学ではあるが、アメリカの大学として学士を取得することができる。もちろん授業は英語なので卒業すれば英語はペラペラになれるし、費用も米国に留学することを考えるとはるかに安価に抑えることができる。私の西日本・岩国オフィスの所長である、原一樹君も無事入学している。もっと日本の若者が入学すれば日本の国際化の大きな助けになるはずなのに、あまり知られていないのはもったいない話である。

基地内大学授業風景写真

 

 岩国基地のすぐ近くに私の母校、市立川下中学校がある。「白鷺は水田に群れて、紺青に瀬戸は和みぬ・・・」と校歌にあるように、この地域には白鷺が多い。白鷺は小魚を食べて暮らすので、川下三角州を囲む今津川、門前川そして広大な水田、蓮田と、たくさんの自然の恵みがある。白鷺はとても美しい中型の鳥である。しかしながら、「過ぎたるは及ばざるが如し」で集まりすぎると糞や音の問題で色々と人間を悩ますらしい。門前川と今津川の分岐する井堰の三角州側に、藩主吉川広正の別邸に植えたとされる樹齢350余年の巨大楠が茂っている。高さ20mをゆうに超える壮木15本の壮大な景観である。しかし、どうもその楠の森を白鷺が寝床にしているようで、楠の上部の樹冠が真っ白に見えるほどである。

大楠写真1

大楠

大楠の写真2

 

 錦川と門前川の境にある井堰は錦川の流量調整のために設置されたものであるが、格好の遊泳場所として子供時代に夏休みには毎日通った。ゴリと呼ばれる黒い小魚、ハゼなどがウヨウヨいて、水泳、魚取りに毎日忙しく遊びまわっていた。小魚も天ぷらにするととても美味しい。昔と比べるとかなり川砂が堆積した印象ではあるが、今でも子供たちが色々と遊べそうな場所となっている。

井堰の写真

 

 三角州の頂点から門前川の反対側に進むとそこは今津川である。春先には素魚(シロウオ)漁が盛んで、小さく透明な素魚は喉越しを味わう。今津川の中流域には素魚料理で有名な「油政」という割烹旅館がある。米国イェール大学への留学が決まった折に、父が後にも先にも一度だけその料亭へ連れて行ってくれた。念願の米国留学を実現することができたのも応援してくれた家族があってこそではあるが、アメリカ人がたくさんいる岩国の環境が随分と後押しをしてくれたと思っている。

油政写真1

油政写真2

 

                                               光井 純