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「トラックの修理を営む空中の生家」 名越達彦さん その8 名越車輌(なごししゃりょう)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年5月8日更新

 最終回の第8回目は、今津町にあるトラック修理屋「名越車輌」。

 

 こちらの二階が私の生家です。

名越車輌外観写真

 もう今は誰も住んでませんが、私は18歳までここで過ごし、ここから広島まで毎日通学してました。インターネットをひとりで引き込んだのもこの二階です。

 

 名越車輌は、戦後すぐの頃にトラックの修理業として曽祖父が始めたものです。当時はトラックの故障が多く、需要があると踏んで起業したと聞いています。家業として父が継いだのち、いまは別のオーナーの方に事業承継してそのまま経営されています。

 今回オーナーさんにご協力を得て取材をさせていただきました。

旧邸の玄関前に立つ名越さん

 玄関です。一見普通なのですが取材に同行した岩国市役所のみなさんには「空中の家」と呼ばれました。

 

 ひきで見ていきましょう。

旧邸の外観写真

 この部屋が私の部屋でした。

 これでもまだなぜ「空中」なのかわからないと思いますが・・

 

 

 こちらでどうでしょうか。

名越車輌の写真

 そうなのです。

 国道188号線沿いでトラック修理を営む我が家の下にはトンネルのような空間があり、10トンの大型トラックも入ってしまう特別仕様なのです。

 

 今だったらこの設計を通すのはなかなか難儀だとは思いますが、戦後すぐの建築基準法には批准していたようです。

 

 ちなみに、右に映っているダンディなおじさんは工場長(取材当時。現在は取締役常務)の小原さん。

 長い間名越車輌ではたらいてくださり、私が幼いころから見守ってくれていました。

 かつては住み込みで働いていた方々もいて、家族のように皆でごはんを食べていました。

 

 今現在、両親は家業を引退していますが、私はトラックや車をいじっている父の姿や母が商売をしている姿をみながら育ちました。

 いま、私自身も会社を起こしていますが、商売人の家に育ったことはその一因だったのかもしれません。

 


 

 全8回にわたる、「私の岩国」こちらで以上です。

 

 

 ただの観光案内という形ではなく、今回の企画は、凡庸だった岩国の少年が、どのような軌跡を岩国市でたどっていたか、私の思い出深い場所やお世話になった人々に再会し、”この街での経験が今の私の価値観を作った”ポイントを振り返りながらご紹介させていただきました。

 

 岩国という街は、いまとても勢いに溢れた地方都市だと思います。

 私が生まれ育った頃と比べても、元気な街に変貌を遂げてきていると感じています。もちろん解決すべき問題は山積されていることかと思いますが、前進し続けている力強い姿勢を感じていますし、その勢いを改めて感じる機会となりました。

 

 読んでくださったみなさん、「私の岩国」企画にお声掛けくださった岩国市役所のみなさん、そして私を育んでくれた地元岩国の皆さんに心から感謝御礼申し上げます。

 

 みなさんも素敵な街、岩国の思い出をたくさん作ってくださいね!

 最後までお付き合いくださりありがとうございました。

 

 名越達彦