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「少年が大志を抱いた鷗州塾」 名越達彦さん その4 鷗州塾 岩国校

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年4月10日更新

 第4回目は、私の価値観を変えた「鷗州塾 岩国校」です。

 

 私は小学校4年生までどこにでもいる普通の少年でした。泣き虫で弱気な気質でした。

 毎日のように、ランドセルを家に置いて、友達と缶蹴りしたり、公園のブランコで靴飛ばしをしたり、友達の家でファミコンをして過ごしてました。

 この頃は麻里布中学校にこのまま進学する、くらいにしか考えてませんでした。特段、勉強に打ち込むこともなく、毎日学校の宿題をこなしてから友達と遊ぶ、という日々を過ごしていたように思います。

 

 そんな私の価値観が大きく変わったのは小学校5年生のとき。この鷗州塾に入ったことが契機でした。入塾のきっかけは、小学校4年生だったある日、毎日のように遊んでいた親友が先に鷗州塾に入塾してしまって突然遊べなくなってしまった。

 あまりに暇を持て余した私は両親に懇願し、親友を追いかけるように入りました。

 中学受験や学問に対するモチベーションよりも、「ひとりぼっちになりたくない」という動機がとても強い状況でした。

 

 そびえたつ鷗州塾岩国校のビル。このビルは私が通っていた約30年前から建物は変わっていません。1990年代初頭、小学生の私からすると非常にモダンな印象でした。

鷗州塾岩国校写真

教室の写真

 鷗州塾の環境は私にとって、想像の斜め上をいく世界でした。勉強内容はもちろん、まわりの仲間も都会的な雰囲気を身にまとっていました。

 

 たとえば、小学校では普通の鉛筆と赤鉛筆しか持ってなかったのですが、塾ではみんなシャーペンと赤のサインペンもってるのも当時は衝撃でした。あと私は素足にゴム靴履いてたんですが、みんな靴下とスニーカー履いてる。清潔感がある子が多かった。

 入塾してからは、母に付いてもらって毎週の暗記テストを頑張ってたのを覚えています。1週間で全都道府県や県庁所在地を暗記、漢字40個暗記、みたいな宿題がバンバン出てきて、ひたすらそれらをこなしてました。合格しないと塾で毎週居残りさせられるから必死にやってました。

 

 当時の鷗州塾では、小学校よりも断然きびしく、毎月の月例テスト成績順に席が決まるというようなプレッシャーのある環境でした。4泊5日の勉強合宿では、夜中でも課題が終わるまで寝かせてもらえなかったり。

 

 そんな中、入塾後最初の月例テストで岩国校でいきなり2位を取った。座席は前から2番目。人生初の成功体験でした。「自分の居場所」を見出し始めた瞬間です。このまま居場所を確立しようと勉強に打ち込む日々でした。

 

 そういった環境の中で着実に学力が伸びていき、最終的に広島大学附属中学に合格できたのは鷗州塾の風土が私に合っていたんだとおもいます。泣き虫だった少年は、いつしか中学受験を楽しむ少年に変貌を遂げていました。

 

 

 次回は、鷗州塾時代の恩師と数十年ぶりの再会です。

 

 名越達彦