ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 私の岩国 > これまでといまから 弘兼憲史さん4

これまでといまから 弘兼憲史さん4

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年1月10日更新

市:現在も弘兼先生は第一線でご活躍されていますけど、ご活動の状況はどういった感じでしょうか。

弘兼:今は「黄昏流星群」と島耕作を連載しています。島耕作はこの8月に相談役になりました。

市:もう長く連載されていますよね。

弘兼:連載はね、島耕作は36年目かな、1983年スタートだから。それから「黄昏流星群」が24年、もうすぐ25周年が来るっていうので、長いですね。

弘兼さんの画像

市:もともと子どものころから絵を描くのがお好きだったんですか。

弘兼:そうですね。川下に住んでいた頃から、絵の先生について絵はずっと習ってましたね。幼稚園の頃から小学三年くらいまでですかね。小学校のときは夏休みは漫画を書いていましたね。手塚治虫先生の漫画を模写して、それで漫画家になるんだと思いながらやっていましたね。

市:だから小さい頃からずっと、漫画家になりたいと思い続けていたんですね。

弘兼:ところが中学生くらいになると、現実が分かってきて漫画家っていうもの簡単にはなれるもんじゃないっていうのが分かったんで、すぐあきらめて新聞記者になろうって思った。そのときは子どもながらに中学生になったら「これからは漫画を読んではだめだ、これからは小説を読もう」と考えて、図書館に行って、主に明治の文豪の森鴎外とか二葉亭四迷とか、夏目漱石とか、かなり難解な文章を辞書を引きながらずっと読んだんです。幸田露伴なんかも読みましたね。でもまあ漫画のほうも、ずっと貸し本屋に通って、漫画を読んでましたし、学校の先生とかクラスメイトの似顔絵はばんばん書きましたね。

 そのころちょうど、ゴルゴ13の作者のさいとうたかをさんが貸し本屋から東京へ進出して大ヒットして、巨匠になるんですけど、さいとうたかをさんの貸本屋時代の「台風五郎」シリーズっていうのが非常に名作だったんです。その頃ね、台風五郎の似顔絵を公募してたんで、描いて送ったら最優秀賞はもらえなかったんですけど、佳作はよくもらいました。その佳作の賞品がさいとう先生の原画なんですよ!今では考えられないことなんですけど、出版社が買い取り制だったんで、その原稿をチョキチョキと切ってぺらぺらした封筒で送られてくる。1位になるとモデル銃がもらえたんですが、今考えたら、佳作の方がよっぽど価値がありますよね。それを4,5枚もってたんですけど、こどもだから価値が分からず、引き出しの中に入れてなくしちゃうんですよね。さいとう先生にそのことを言ったら「そうなんやー。あの頃のわしの原稿はもうあらへんでー。」とか言われましたけどね。

市:残っていれば、すごいお宝になったんでしょうね。

弘兼さんの学生時代の絵

弘兼さん学生時代の絵2

↑上2枚の画像は高水高校時代の文集の挿絵(画:弘兼憲史さん)

弘兼:それから大学に入って、漫画研究会、最初から狙いだったんですけれども、早稲田に合格したら漫研に入ろうと、そこにいって。そこでもやっぱりストーリー漫画というものは描いていなくて、1コマ漫画とか、それからあとは似顔絵なんかを描いていました。早稲田祭に向けての。だから実際ストーリー漫画を書いたのは、会社に入ってから。入ってからというか、会社を辞めてからですね。25歳で初めてストーリー漫画を描いたという、スタート的には非常に遅いんですけれども、2年くらいで新人賞みたいな賞を3つくらいとって、27歳で漫画家デビューすることができました。まあラッキーでしたね。

市:最初は課長だった島耕作も、相談役になりましたけど、これからの目標みたいなものは。

弘兼:今、相談役ですからね。この役職も常識的にいえば3,4年経てばいなくなる。まあ相談役っていうのは、別に会社法に決められている役職じゃないんですね。島耕作のいるテコットという会社は、相談役を設置するということを取締役会で決めているみたいで。決めているみたいというか、自分で描いたんですけど(笑)。それで就任させているということですね。島耕作はね、僕と同い年に設定してますので、島耕作がやめるときはたぶん僕が描けなくなったとき。まだ幸いに体のほうは、目がちょっと疲れるくらいで、睡眠も4~5時間くらいで平気だし。ゴルフも歩いて18ホール回ってます。

市:すごいですね。

弘兼:というか僕の入っているゴルフコース、両方ともカートがないんで、歩くしかない。メンバーの爺さんたちみんな歩いてますからね。負けちゃいられないみたいな。

弘兼さん写真

市:ものすごいお元気ですけれども、何か健康に気をつけられているとか。

弘兼:いや、とくにないですね。

市:毎日、頑張って美味しくお酒をいただいて。

弘兼:そうですね。ストレスがないのが良いんですかね。

市:連載をするというのは、すごいプレッシャーじゃないかと思うんですけど。

弘兼:それはもう慣れちゃいましたから、全然。それに締め切りは僕はかなり前倒しでやるほうなので、締め切りよりも2週間くらい早くやってるんで、突発的に何か入っても対応できるようにしてるんです。

市:さすがですね。

弘兼:サラリーマンでしたからね。


【今回登場した場所】

○吉香茶室

 弘兼先生へのインタビューを行なった場所は、錦帯橋からほどちかい吉香茶室でした。

 吉香茶室は明治25年に旧岩国藩主の吉川家が本邸を建築した際に、東京より移築された離れで、昭和26年に岩国市に寄贈されました。

 令和元年にはその歴史ある面影は残しつつ、新たにリニューアルされました。本格的なお茶会はもとより、一般の方も参加できるお茶会も定期的に開催されています。

(問い合わせ)

岩国市 文化振興課

TEL:0827-29-5211

URL:https://www.city.iwakuni.lg.jp/soshiki/18/5297.html