今回「私の岩国」に登場していただいたのは、和太鼓パフォーマンス集団「倭」で活躍されておられる川内智子さんでした。
【通津 浪の浦団地プール跡地】
前日の夜に大雨が降っていたため、天候を心配していましたが、何とか雨が上がって一安心。プールがあった場所は現在は草原になっていました。管理されている旭化成建材株式会社さんに昔の写真も提供していただきましたが、当時は地元の子ども達もプールを利用できていたそうです。
【通津小学校・通津中学校】
学校内を歩きながら、いろいろ思い出を聞かせていただきました。本文中にもいくつか紹介されていますが、実際にはまだまだたくさんありました。学校のそこここで思い出が眠っている、そんな感じでした。ご自分で活発な子だったと川内さんは仰っていましたが、きっと学校の中を元気に駆け回っていたのでしょうね。
【由宇の海】
この日は前日の雨の影響で、海の水が濁っていましたが、天気の良いときは澄んでとてもきれいなのだそうです。見えたらすばらしい眺めという、瀬戸内海の島々も曇って見えず、残念でした。
※下の2枚の写真は後日、天気の良い日に撮影したものです。
【白崎八幡宮】
川内さんが昔、太鼓の練習をしていたという場所はなくなっていましたが、禰宜の方が親切に案内してくれて、絵馬までいただきました。ありがとうございます。そして取材の翌日には神社のホームページに、取材があったことがアップされていました。迅速な対応に我々も驚きました。
【岩国商業高校】
本文中にもありますが、簿記部の部室にお邪魔して、恩師の山口先生との感動の対面!にも立ち合わせていただきました。そして部室には部員の方もいらっしゃいましたが、何とそのうちの1人が川内さんの同級生のお子さんでした。学校をあとにするとき「一緒に写真を撮っておけばよかった」と川内さんが悔やんでおられました。
【ライブハウス「TIME」】
マスターの多谷本さんと川内さんの会話では、川内さんが所属していた当時の“おじさんバンド”のメンバーの近況の話題もありましたが、音楽活動を継続されている人も多く、20年前にすでにおじさんだったことを考えると……、みなさんお元気ですね。マスターもミュージシャンとして、3月に開催された市主催イベント「ちかくにいわくにマーケット」にも参加されたそうです。
【山賊】
節目でいろいろな思い出があるという山賊。取材日も平日に関わらず、大勢のお客さんでにぎわっていました。「倭」のホームページや演奏の映像から、川内さんはお会いするまですごいワイルドでパワフルな人かなと、勝手なイメージをしていましたが、川内さんの実際はとても控えめで、すごく気配りをされる方でした。
川内さんが「倭」のことを知ったのは、インターネットがきっかけでした。岩国太鼓に参加していた川内さんはその活動に興味を抱き、「倭」に絶対に参加すると決心して、奈良の明日香村に単身乗り込んでいったそうです。何という勇気!入団が認められてからは、その明日香村で他のメンバーと共同生活をする日々が始まり、海外にも遠征するように。初めての海外はインドで、その後はヨーロッパと、世界を飛び回る生活で、ものすごく忙しかったそうです。器材も自分たちでセッティングしなければならず、箸より重いものはキーボードくらいしか持ったことのなかった川内さんも、徐々にきたえられました。
「良く考えると倭に参加してから、もう20年経ったんですね」と、入団当時のことを話していた際に、川内さんが感慨深そうに仰いました。
たしかに20年という歳月は、決して短い期間ではありません。今回、取材をして印象に残ったことは、川内さんが思い出を実にたくさん憶えておられて、しかもその一つ一つを生き生きと語ってくれたこと。知らない土地で、知らない人々と暮らし、ときおり海外にも行かねばならないという環境は、想像以上に大変なことだと思います。しかし岩国でのたくさんの思い出があったから、夢をつかもうとする勇気や、新しい環境での多忙な日々を頑張れることができたのだと感じました。これからも元気でご活躍されることを祈っています。