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周東体育センターとパストラルホール 岩崎由純さんその4

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

1986年に日本で最初のアスレティック・トレーナーとして自分を雇って下さったNECレッドロケッツに、郷里の周東町から声がかかったのは、1990年のことでした。周東体育センターのこけら落としにチームを呼んで下さったのです。
実は、1988年2月7日に当時のバレーボール界の女王日立さんの8連覇を阻止して、NECバレーボールチームは念願の初優勝をしました。その年に開催されたソウル・オリンピックには3人のオリンピック選手を輩出しました。そのチームに関わっていた自分が、周東町の出身だということで記念行事にチームが招聘されました。1990年10月4日に開催されたイベントには、後の全日本監督の葛和伸元さん、吉川正博さん、ソウル代表の山下美弥子さんをはじめ、チーム全員がわが故郷に来てくれたのです。周東体育センターは、立ち見が出るほどの満席状態になり、そこには自分の両親はもちろん、祖父の姿もありました。地元のバレーボール関係者はもちろん、昔の仲間達も駆けつけてくれました。アスレティック・トレーナーという立場でしたが、自分にとっても忘れらない外旋イベントとなりました。

体育センター外観

体育センター内観

この体育館に当時のNECレッドロケッツのメンバーが全員集まり、紅白戦をし、バレーボール教室を開いてくれたことは、故郷への恩返しが少しはできたのではないかと、感慨深いものがありました。駆けつけて下さった中学時代の恩師が、両手で自分の両肩を強く叩きながら、目にいっぱいの涙を浮かべ「立派になったのう!」とおっしゃったことで、それまでの全てが報われたような電撃が全身を走りました。関わって頂いた皆様への感謝の挨拶は、涙なしでは語れませんでした。
そのお隣にあるパストラルホールは、音楽専用の素晴らしい施設で「体育会系」の自分には縁がないものかと思っていました。この原稿のご依頼をいただいた2018年の5月、実は地元のミユキ書道教室のイベントで講演をさせていただきました。50歳になった2009年以来、チームは若いトレーナーさん達に任せて、自分の仕事は講演活動です。ここ9年間は年間、200回を超える講演に全国から呼んで頂いています。それが遂に、わが故郷にあるパストラルホールで実現したのです。芸能人でも著名人でも、もちろん政治家でもない自分の講演にどれだけの人が来て下さるのだろう。期待以上に不安がありました。しかし、募集が始まってまもなく山本一遊先生(ミユキ書道教室主幹)から連絡が入りました。「500席のチケットは、完売しました!」と言われ、凱旋講演を楽しみにしている母の席は確保したとのことでした。同級生を含む古い仲間達、町の有志の皆さん、ミユキ書道教室の関係者の皆さん、そして野球をはじめスポーツ少年団の指導者の皆さま方のおかげで、チケットはあっという間に完売したのだそうです。

パストラルホール

2018年5月20日、故郷への恩返しのため500名近い方々へ、心を込めて全身全霊で語らせて頂きました。しかし、自分の凱旋講演をもっとも楽しみにしていた母の姿はありませんでした。イベントの2カ月前に急逝したからです。その一年前に旅立った父と一緒に、きっと天国から見守ってくれている。そんな思いで熱く語らせて頂きました。
そんな古い思い出に、新しい思い出が加わった周東体育センターとパストラルホールの2018年4月からの館長さんは、高森高校時代だけでなく日本体育大学でもお世話になった二つ上の先輩、大塚賢二さんでした。大学時代は同じ寮に住んでいた先輩です。この不思議なご縁にも驚きました。
「まだ地元のバレーボール関係者の皆さんにも、陸上の関係者の皆さんにも恩返しができていないんですよ。」と、この記事の取材日に会えなかった大塚さんに翌日ご挨拶に行くと、「岩崎、今年も都合が合えばやればいい!」と仰って下さいました。2019年夏、故郷にあるパストラルホールでの第2弾の講演、実現に向けて動き始めます。