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米軍基地と井堰 樋口明雄さんその4

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

岩国という街は、米軍基地と古都が同時に存在している地方都市です。
けっしてそれらがアンバランスな関係になっているわけではなく、双方が交じり合うこともなく、自然な形でお互いを認め合っているような印象があります。
そういう意味で日本じゅうを探しても、こんな場所はほかにないでしょう。
七十年代の岩国を舞台にした拙著〈風に吹かれて〉と〈ダークリバー〉。双方には、門前川の海近くの堤防で釣りをする場面が出てきます。河口に近いから川幅は広く、川面のずっと向こうに岩国基地の堤防があって、そこを芥子粒のように小さく、米兵たちがランニングしている姿を見ることができます。
子供のころから、そういう距離感でアメリカという国を見ていたんですね。
毎年五月五日のフレンドシップ・デーの基地開放日には、よく家族で行って、ホットドッグを食べたり、F4ファントムのコクピットの乗せてもらったりしたものでしたが、ふだんは物騒なフェンスで仕切られて、岩国基地とこちらの世界が隔てられていました。門衛に立っている兵士の腰のホルスターには黒い拳銃が差し込まれていました。
まさに柳ジョージとレイニーウッドの〈FENCEの向こうのアメリカ〉に歌われた世界。
けれども、そんなアメリカ人たちと感動を分かち合える場所がありました。
〈スバル座〉と呼ばれた小さな映画館でした。

航空隊通り(現在)

今となっては、米軍基地前の道路の、どのあたりにあの映画館があったかすらも記憶にありません。
封切り映画を上映する映画館ではなく、昔風にいえば名画座とか、二番館、三番館などといわれた小さな劇場でした。
だから、子供向けの漫画映画(今風にいえばアニメ)を上映することもあれば、アダルトものもあったし、それでもビデオのない時代、昔のハリウッド映画のアクション作品などを二本立てで観られたりするから、上映の広告を見ては足繁く通ったものでした。
もちろん場内は米兵だらけ。
彼らはいつだってハイテンションです。つまらない映画だとブーイング。画面にグラマーな美女が出てくると口笛。
そんな騒がしい映画館にすっかり慣れていたものだから、のちに大学生になり、東京の映画館に入って、上映中、しわぶきひとつない静かな劇場にカルチャーショックを受けた記憶があります。

井堰(全体)

米軍基地と並んで、川下でよく行った場所といえば井堰です。
錦川が今津川と門前川にわかれる場所に位置していて、もともと川の流量調整が目的で作られたといわれていますが、門前川の河口から上がってくる塩水をここでさえぎるためという話も聞きました。その証拠に井堰の上流部は真水で、下流部は海水のような潮水。海のほうから風が吹くと、ふっと磯の香りが漂ったりもします。
樹齢三百年といわれる大楠も、相変わらず見事でした。
台風で倒れてしまったという大きなムクノキは残念です。根元だけが残っていました。

楠木

鳴子岩とともに、ここは遊泳指定場所でした。
夏休みともなれば、毎日のように泳いでは、疲れるとコンクリの斜面に寝転がっては、かんかん照りの太陽の下で体を焼いていました。今でこそ紫外線が健康の大敵というのが常識ですが、当時は日焼けが健康の印みたいにいわれていました。
本来は遠浅になっている上流部が遊泳指定になっていましたが、私たちはもっぱら下流派でした。何しろ水が深くて素潜りが面白かったし、川魚と海の魚が混在していたからです。大きなチヌ(黒鯛)をヤスで突いて獲ったこともありましたよ。海のように潮の満ち引きがあって、汀の位置が刻一刻と変わるのも面白かったですね。

ココ(後姿)

井堰の途中には、ふだんから水が流れる水路があります。
昔、ここにはコンクリート製の二本橋がかかっていました。いつからか写真のように真ん中の隙間がコンクリで固められてひとつにされていますが、当時はこのふたつの橋に上手にタイヤを乗せて、車が渡っていたものです。
一度、運転を誤っておじいさんの乗った軽トラが水路に落っこちたのを目撃したことがありますが、そんなことがあったためか、今ではさすがに一般車両は進入禁止となっています。
この井堰は、拙著〈風に吹かれて〉の重要な舞台のひとつでもあります。
少年たちがとても危険な冒険を試みるのですが……(決して真似をしないように!)。

ココ(横顔)

井堰では、水泳の他に、釣りという楽しみもありました。
駄菓子屋で売っていたプラスチック製の仕掛巻きのテグスを解き、テトラポットの隙間にエサを沈めてゴリ釣りをやったものです。最初、エサはタニシを使うんですが、ゴリが釣れたら、石でその身を砕いて針先に引っかけて釣りを続けていました。残酷な話ですが、昔の子供ってそんなことをしながら育っていったんですね。
あの頃、学校の理科の授業では生徒たちが持ち込んだカエルや魚の解剖というものがありました。今ではとても信じられないことです。
ゴリはハゼ科の小さな魚ですが、実は珍味として重宝されるらしく、金沢に旅行に行ったとき、ゴリ料理が彼の地の名物と知ってびっくりしました。
今でも昔と変わらず、ゴリはテトラポットの隙間にいました。胸の真ん中にある丸い形をしたヒレが吸盤みたいになって、岩にくっつくことができるようです。浅瀬にしゃがみ、水の中を見つめていると、まるで、そこだけ時間が止まったように思えました。
傍らで愛犬ココも、そんなゴリたちを興味深げに見ています。

浅瀬にいるココ

こうして取材を終えて、私たちは岩国駅前に戻りました。
すっかり遅くなった昼食ですが、私のリクエストはもちろん寿栄広の中華そばです。
子供の頃から、ここで食べるのが大好きでした。まさにソウルフードといえます。
「中華ワン!」
入口レジ前で注文すると、エプロン姿のおばちゃんの元気な伝達の声は昔とまったく同じでした。
運ばれてきた背脂いっぱいのラーメンをすすりながら、懐かしい味を堪能しつつ、今回の取材は無事に終わったのでした。

中華そば