ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 私の岩国 > 青春の全て 岩国高校野球部 野球場 又吉孝昭さんその1

青春の全て 岩国高校野球部 野球場 又吉孝昭さんその1

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

初めまして。
トレーナーとしてアスリートのパフォーマンス向上トレーニングや障害予防、一般の方へのトレーニング指導をしている又吉孝昭と申します。
この度は地元岩国を紹介するこのような場を与えてくださり、感謝しております。

私は22年前、高校卒業後、体育教師になるため東京の体育大学に進学しました。
教育実習にも行き、教員採用試験を受ける直前(大学4年次)に、大学野球の選抜選手として初めて海外に出てアメリカテキサス州で野球をする際当時日本では見たことがないトレーナーという職業(スポーツ選手にトレーニングを指導するという専門職)に衝撃を受けて教員からトレーナーの道へ進むことを決めました。その後、米国の国際トレーナーライセンスを取得し、JTサンダーズ(バレーボールVプレミアリーグ)の専属トレーナーをはじめ色々なスポーツチームを担当させていただき、今では広島市内で自分のトレーニングスタジオ内での指導と山口県体育協会フィジカル部門S&C担当として県の強化指定チーム(誠英高校女子バレーボール部、高水高校女子ハンドボール部など)のトレーニングも担当しています。

【岩国高校】
岩国高校

私の場合、青春の全てが野球でした。
高校進学を決める中学3年の時に岩国高校が選抜甲子園出場(中国地方No1投手 林卓史さんが投手:岩国高ー慶應大ー日本生命ー慶應大大学院ー朝日大野球部監督ー慶應義塾大学コーチ)したのと、一つ上の先輩で山口県で最も有名なピッチャーである石川さん(灘中学出身)、山口県No1スラッガー光田さん(麻里布中学出身)さんが入学したと聞いて「絶対岩国高校に入って甲子園に行きたい」と強く思って受験しました。
入学当初は甲子園で活躍した先輩方のレベルの高さと半端じゃない練習量に毎日ついていくのが必死でした。高校時代は寝ても覚めても野球のことばかり考えていて、「どうやったら野球が上手くなるか」「どうしたら速い球を投げれるか」などばかり考えていました。

【岩国高校 野球部グラウンド】
岩国高校野球部グランド1

岩国高校野球部グランド2

とにかく、厳しかった....
走って、走って、走りまくった。そして倒れて、走った。立ち上がってまた走る。
高校野球は厳しいと覚悟して入りましたが、想像の10倍以上でした。

【恐怖の坂、ごぼう坂】
恐怖の坂 ごぼう坂

この100mくらいある坂。
学校の裏に細い坂があるんですが、いい角度でいい長さ...
1日何本走ったか。脚がパンパンになるんです。
しかし、これで岩国高校野球の基礎である機動力を養ったのは間違いありません。

どこの高校の野球部も入部した部員の半分は練習のきつさに辞めるのが普通だった時代ですので、もう二度と体験したくありません(笑)が、そこで身につけた精神力と根性はその後の人生の全てで生きています。
かなりしんどいことがあっても「高校野球の練習に比べたら楽勝」だと思えるのもあの経験があってのことです。

【鉄棒】
鉄棒

野球部のメニューにはなかったですが、体育の先生に懸垂はいいトレーニングなんだと教えていただき、ひたすら懸垂をしていました。トレーナーになってからも科学的観念から懸垂の重要性を学び、選手にも懸垂を重要視して指導しています。

現在も監督である河口監督は「情を持って非情をなす」と常に口にされていました。
今、私も選手を指導する立場になってその言葉の意味が本当に分かります。
情熱がないと人に厳しくは言えないですから。

監督、コーチ、先輩、同級生、後輩。
ここで出会った方々と思い出は一生忘れることはないのだと思います。
そして、素晴らしい方々に出会ったことに感謝しています。

又吉 孝昭