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ぼくの母校 岩陽高校 松林慎司さんその2

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

今は校名変わって岩国総合高校。(*以下岩陽高校)
実はこの高校、1997年公開、鹿島勤監督作品「いちご同盟」の舞台になってる高校なんです。
主人公の男の子の設定が15歳の中学生。校名も僕の母校でもある灘中学校をそのまま使ってます。
麻里布中学校、東中学校もそのまま使われてます。
持っているナップサック、ジャージ、あの襟付きの体操服、全て当時と同じでした。
声を上げるほど懐かしかった。
恐らくロケの都合上だと思いますが、灘中学校と見立ててこの岩陽高校を使ってます。
冒頭生徒が登校しているシーン、上り坂の校門は岩陽です。
主人公の男の子がグランドを走ってるシーン、着ている体操服は灘中学校ですが・・・岩陽です。
他にも岩国高校が病院の外観になってたり。
市民球場、もちろん錦帯橋、 吉香公園、城下町、工場地帯・・・岩国の魅力全開です。

余談ですが、先日とある映画の撮影がありまして。
たまたま、その映画の打ち上げがありまして。
たまたま、参加したら。
たまたま、いちご同盟主演の大地泰仁さんとご一緒でした。
まさかこのミラクル的なタイミングでお会いできるとは。
いや~鼻血出そうなくらい嬉しくてパシャり。

松林さんといちご同盟主演の大地泰仁さんのツーショット、いちご同盟のパッケージ

当時のお話たくさんしてくれました。そんな大地泰仁さん、弱冠13歳にして主演。
ぜひ映画「いちご同盟」見てみてください。

岩国総合高校の校門・中庭・グラウンド

まぁとにかく楽しい毎日でした。高校3年間はほぼ休みなく通学した記憶があります。
みんなから遅れをとりたくない一心ですね。友達との話題も野球部の練習も。学業は・・・?
いい奴ばっかで。

渡り廊下と階段の写真

3年間野球部に在籍。

野球部の部室とコンテナ

1985年、当時小学生の僕はテレビの前で釘付けになってました。
「甲子園は清原のためにあるのか!」
宇部商業が夏の甲子園決勝であのPL学園の清原選手に同点ホームランを打たれた時、アナウンサーが興奮して叫んでた。
その2年後、この岩陽高校に清原選手の通算本塁打記録を超える選手が現れました。
藤島誠剛選手。
清原選手は高校通算64本、それを上回る高校通算68本もの本塁打を放ち、1987年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズが3位指名。

藤島誠剛選手が日本ハムファイターズの入団記念に建てたバックスクリーン

その藤島誠剛選手が入団記念で建ててくれたバックスクリーン。

僕が守っていたのはセカンド。ちょうどこの位置。毎日この景色。

松林さんが守っていたセカンドの位置

当時は休憩以外水を飲むのは厳禁で1日1回あるかないかの休憩時間に、目いっぱい水をがぶ飲みして、ついでにポケットに入れてるタオルに 水を大量に含ませて、喉が乾いたら、こっそり生ぬるい微々たる水分を吸って凌いでました。
ケツがびしょびしょになってましたが、やけに甘くて美味しかったなぁ。懐かしい・・・

野球場のベンチ

あの頃いつ終わるか分からない練習中、山の向こうから流れて来る雲を見て・・雨降らないかなぁ・・・ずっと考えてました。

3年間野球部で活動して集大成でもある甲子園予選地方大会。
元広島カープの炎のストッパー津田恒実さんの母校で強豪南陽工業戦と大接戦の上の超スーパー劇的なサヨナラ勝ちは一生の思い出。
次で負けちゃいましたが・・・燃え尽き症候群だったかも・・・いわゆるスラムダンクの世界ですね。

先日かつてのチームメイトと野球部中村典男元監督とも20年ぶりに再会。
御歳80歳の中村監督がノックがしてくれました。
あの時のようにみんなで声出して汗かいて。
その15分間は自分たちへの励ましのノックに感じました。

中村典男元監督のノックと集合写真

このグランドでまた会える時を楽しみにしてます。

松林慎司