2回目となる今回は、小学校に続いて通っていた「美和中学校」のご紹介です。前回、小学校は片道1時間かけて徒歩で通学していた、とご紹介しましたが、中学校へは自転車で30分弱かけて通っていました。
私が通っていたころは「美和町立」でしたが、市町村合併を経て現在は「岩国市立」となっています。サッシや手すりの入れ替えはされていますが、校舎そのものの構造は、昔のままです。「3つ」の「輪」で「みわ」の校章も、変わっていませんね。
校舎内にもお邪魔させていただきました。中へ足を踏み入れるのは卒業以来ですので、実に27年ぶりとなりました。
ご覧のとおり、美和中学校は3階建ての2階・3階が「オープンエア」の廊下になっています。私が通っていた当時は昼食が給食で、その週の当番が教室内で配膳している間、他の生徒はこの廊下に出て教室側を背に一列にずらっと並んで、放送の音楽に合わせて「眼の体操」なるものを行っていました。周囲は山の緑が豊かですので、授業で疲れた眼にやさしい、といったところだったのでしょうか(?)。また、冬になるとうっすら雪が積もったりもして、ある意味とても“開放的”でした。
あまりにオープンなので、廊下の天井につばめの巣ができるほどです。とてものどかで、いいと思いませんか?
中学校では、必ずいずれかの部活動に所属することになっていました。とはいえ、全校生徒で200人弱でしたので、男子が入れる部活は「テニス部」「剣道部」「体操部」「吹奏楽部」の4択でした。私が入部したのは、吹奏楽部・・・ではなく・・・
・・・「剣道部」でした!エレクトーンを個人的に習い続けていたこともあり、親の勧めで運動系の部活を選択することになりました。
体育館の裏手に武道場があったのですが、今もその建物が残っていました。私の在学中に新しい町立武道館が近くにでき、練習拠点もそちらに移ったのですが、入部当初はここで練習していました。入部すぐのゴールデンウィーク直前、部活動の中で筋トレとして腕立て伏せや腹筋をみっちりやった結果、続く3連休の間“筋肉痛”で起き上がれなくなり、寝返りを打つのも、ましてや笑うだけでも痛くて、どこにも行かず自宅でおとなしくしていたことは、今となってはいい思い出です・・・。
こちらは、校舎から見下ろしたグラウンドです。
下りていってみましょう。
コンクリート造りのスタンド状になっていて、ここに腰かけるとグラウンド全体が見渡せます。町の総合グラウンドも兼ねていましたので、当時は町のあらゆるイベントがここで開催されていました。凧揚げ大会、球技大会、町民駅伝大会、盆踊り、秋のふるさとまつり・・・などなど、町民が集う場所、コミュニケーションが生まれる場所として、大きな役割を果たしていました。観光地、というわけではありませんが、現在も変わらず美和町のひとつの「暮らしの拠点」であるといえるのではないかと思います。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は、山口県の“東の端”へ向かいます。
末廣健児