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【高森小学校 中村ユキチさんその1】

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

中村ユキチさんの母校、高森小学校

私は岩国市周東町に生まれ、大学に進む18歳まで岩国市で過ごしました。
第一回目は特に印象に残っている高森小学校のことと、登下校の思い出についてお話ししたいと思います。

短いようで長い18年の中でも、特に印象に残っているのは小学生の頃です。
というのも、私の住んでいる家はちょうど学区のギリギリの位置にあり、そのため小学校までの登校時間はなんと片道1時間。たしか学校内でも1、2を争う登校距離でした。
というわけで、私にとっての高森小学校の記憶といえば、まず登下校、次に授業中、そしてクラブ活動になります。
今回久しぶりに当時の登下校のコースを回ってみて、当時の記憶がいろいろよみがえってきました。
当時、高森小学校では集団登下校を実施していて、近い家の子たち数名で一緒に登校していました。とはいえ子供にとっての1時間はとても長く、毎日同じだと飽きてしまうので、寄り道にならない程度にあぜ道を通ったり、木の実を取ったり、走って行ってみたり、空想にふけったり、工夫して登下校していました。中でも印象に残っているのは、周東中学校近くの土手を歩いているときに、オスのきれいなクジャクに遭遇したことです。朝早い土手の竹林からひょこっと姿を現わし、また竹林の中に消えていきました。おそらく近くのひのみ野鳥園から抜け出したクジャクかと思うのですが、いまでも鮮明に覚えています。

クジャクが飛び出してきた周東中学校近くの土手
<クジャクが飛び出してきた周東中学校近くの土手>

当時は川沿いに竹藪があったのですが、今は整備されてきれいになっています。

ただ振り返ってみれば、この毎日の登下校の時間が、私の漫画を描く上での空想の癖を育ててくれたんじゃないかなと思うので、そこには感謝しています。

今回、小学校内も案内していただきました。
なにぶん登校時間が長いので、早めに家を出るため、寄り道せずに着いた日などは教室に一番乗りでした。特に気分がよかったのは3年生の教室です。1、2年の木造校舎とは違って新しい新校舎だったので、しんとしたきれいな教室で、冬にはかじかむ手を温めながら、友達が登校してくるまでの間ノートに漫画を描くのが特別な時間でした。

高森小学校の中庭

4年生からはクラブ活動がはじまり、私はマーチングクラブでパーカッションとアルトサックスを担当していました。練習場所は体育館の二階で、ここは普通の生徒は上がってこられないのでちょっとした優越感でした。

マーチングバンドの衣装
<マーチングバンドの衣装>

当時のまま!これを着ると気が引き締まりました。

体育館二階の練習場
<体育館二階の練習場>

ところどころ建物や楽器は新しくなっていますが、当時の印象そのままでした。

この度、学校内を案内してくださった岩崎先生、ありがとうございました。いま現在、高森小学校の校長先生ですが、私が小学生の当時は学年主任をされていました。ふたたびこのような機会をいただいてお会いできてうれしかったです。

中村ユキチ