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【由宇町港地区・火伏地蔵 福井恭子さんその3】

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

私が小学校に上がる頃、両親は由宇町に家を買いました。一日のほとんどは麻里布の祖父母の所にいたため麻里布小学校に入学した私と弟はランドセルに定期券をぶら下げて電車通学することになりました。
家から由宇駅に通う細い道に、火伏地蔵と呼ばれるお地蔵さんがあります。昔この地域で大火があった後に建てられた物だと近所の日用品店のおばちゃんに教えてもらったことがあります。朝と夕方は灯明が点り、お線香の香りが漂います。お地蔵さんの前を通る時には軽く手を合わせて挨拶するのが習慣でした。

火伏地蔵の写真

小学四年になる年、祖父母が食堂をやめ私たちも麻里布に通う必要がなくなり、由宇小学校に転校しました。当時の由宇町はあちこちに新しい住宅地が出来たり自衛隊の官舎があったりで転入転出が多く、転入生は珍しくありませんでした。友人もすぐ出来、麻里布にいた頃は母に止められていた自転車で、海に山に思い切り遊びに出かけました。

由宇に来て初めて知った行事に、お地蔵さんのお接待があります。大きなお地蔵さんがいくつかあるのですが、毎年四月二十一日の御大師祭に各地域の皆さんがお地蔵さんの前にお菓子などを準備し、子どもたちにふるまってくれるのです。お参りするだけでたくさんのお菓子や食べ物がもらえるので子どもにとっては春の一大行事です。友人と誘いあって自転車でお接待のハシゴをしました。一番好きだったのは近所のおばちゃんたち手作りの”大角豆(ささげ)むすび”です。お赤飯より少し紫がかった色で、おこわでなく普通のお米のおにぎり。独特の香りがしてちょっと塩気がありなんとも素朴なおいしさで今でも時々食べたくなります。

お接待世話役の皆さん

今年の四月二十一日、お地蔵さんのお接待の様子を紹介したかったので久しぶりに火伏地蔵に行ってみました。うれしいことに今も地域の皆さんがこの行事を続けてくださっています。そして今も、昔と同じようにお菓子をもらってお参りの作法を習っている子どもたちがいました。残念な事にこのご時世なのでおばちゃん達が素手で握ってくれたおにぎりを食べられる機会はありません。
この行事が始まったのはいつ頃なのか聞いてみましたが、ご近所の90歳を越える方が物心つく頃には既にあったのだそうです。

火伏地蔵のお堂の中の写真

その場にいた方の勧めで火伏地蔵のお堂の中に入れてもらい、写真を撮らせていただきました。
一方には「文政四年 辛巳七月日」もう一方には「當○中」とあります。(○が読めないのですが「所」か「町」ではないかとの事)。
後日、由宇町郷土史研究会の村田昭輔さんに伺ったところによると「火難除けのため突貫家のご先祖により祀られたもの。廻船業が栄えた頃の松原開作の起点にも当たる場所ではないか」との事でした。長い月日を経てもこうした習慣が受け継がれている事に誇りを感じます。お地蔵さんの前を通る時に手を合わせたい気持ちになるのは、日々欠かす事なくお世話されている地域の皆さんの事が心のどこかに浮かぶからなのかもしれません。

ファミーユカフェ、TARO農園さん

いまこの近所では、おいしいパンがいただけるブーランジェリーのファミーユカフェさんや、質の良い苺を作られているTARO農園さんなど、若い世代の皆さんも活躍していらっしゃいます。
お接待の取材の後、帰りぎわにおばちゃん方から「あなたも元気でがんばりぃよ!」と力強い声をかけていただいたのが忘れられません。地域のパワーはこうしたみなさんの力だと実感しました。

福井恭子