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【一銭橋の想い出 福井恭子さんその2】

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

岩国にいた頃は、一日の殆どを麻里布の祖父母の所で過ごしていましたが、両親と私と弟、家族四人の住まいは川口町にありました。今津川の河口、川口町と旭町をつなぐ小さな古い橋、一銭橋(正しくは連帆橋)の近くです。


一銭橋の袂の写真

橋の袂の小さな坂の下に畑や庭があり、その奥の大きなお家が大家さん。すぐ隣に並ぶ二件の小さな借家のうちの一つが我が家でした。
父はその頃、商船三井のタンカーの船員でした。外国航路だったので家に帰ってくるのは半年に一度だったり三ヶ月に一度だったり、まちまちです。
川口町の家は、父が帰って来たときに家族での時間を過ごすための場所という感じでした。
決して広いとは言えない部屋に、父がオーストラリアやインド、南米、東南アジアなどで買ってきた大きめの土産物…クジャクの羽根、象の置物、子供の身長くらいある木彫の仏像、亀の剥製等々…が所狭しと並ぶ、ちょっと変わった家です。
隣家との距離が近いので、母は迷惑にならないよう夜泣きする私や弟をおんぶして一銭橋を何往復もして寝かしつけていたそうです。通りがかった人から「あなた、変なこと考えちゃいけんよ」と声をかけられたことがあるそうです。夜中に子どもを背負った若い女性が橋の上を何度も行ったり来たりするのを見て心配してくださったのでしょう。

橋の上から魚やサギなどの鳥を眺めて遊ぶこともありました。

橋の上からの眺め

車は通らず往来もそれほど無いのでゆったり遊べる場所でした。
しかし子どもにとっては欄干の隙間が広く、身体をのり出して川を覗きたいけれど、そのまますり抜けて下へ落ちてしまいそうな気がしました。
当時は川の近くに驚くほど蟹がいました。甲羅にスマイルマークのような柄のある、ハサミの太いアカテガニが多かったと思います。
この蟹たち、雨の降る前には家に上がり込んでくるツワモノもいました。私の長靴に蟹が入り込んでいたのを知らずに足を入れ、中で暴れられて大泣きしたこともあります。
橋のそばを通る車道のあちこちで蟹が轢かれていたのですが、甲羅のスマイル柄のせいで、笑ったままアスファルトに貼りつき干からびているように見えた光景が焼き付いて離れず、未だに蟹は少し苦手です。

渡り賃の値段からその名がついたとも言われている一銭橋。古くてどちらかというと地味な橋ですが、ちょっと変わった街灯らしき物の名残があったりして味があります。意外にもこの橋のファンは多く、わざわざ写真を撮りに来る人もいます。
この取材の時もそうでしたが、橋の上にいると、立ち止まった人同士がなんでもない世間話をしたり一緒に川を眺めたり大きな魚を見つけて教えあったりと、いろんな交流があります。

一銭橋から川を眺める人、川の様子

川上の鉄道橋では電車が走る姿を眺められます。河口側には新連帆橋、その向こうは大黒神島らしき島も見えます。

川上の鉄道橋、河口側の新連帆橋

ちょっと足を止めて、時折潮の香りの混じる川風を感じながら佇んでいたい場所です。
朝と、夕暮れ時がおすすめです。

福井恭子