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母校 沢田幸二さんその3

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年12月28日更新
母校「麻里布小学校」を訪れました。「マリフ」という響きは九州の人にはとても新鮮に聞こえるらしく「カッコイイ」とか「カワイイ」名前だとよく言われます。
麻里布小学校の校舎とグラウンド
学校の歴史も古く大正8年生まれの私の母も卒業生でした。 私が入学した時はまだ木造校舎で確か5年生の頃に今のこの校舎に建て替わったと記憶しております。当時としては画期的な「防音校舎」で窓が二重になっているため掃除が大変だったのをよく覚えています。

その頃も二宮金次郎の銅像はありました。(昔はどの小学校にもありましたよねえ)
二宮金次郎の銅像の写真
1,2年の担任は桑原先生、3~6年は村上先生。当時の通知表を見ると「ボーッとした捉え所のない生徒」だったみたいです。ま、勉強もあんまり出来なかったし。 学校給食の思い出は何と言っても「脱脂粉乳」。あれを飲むのが嫌で嫌で。村上先生はおかわりしてましたけど。パンはコッペパン。バターは「六甲バター」。 たまーに出るスパゲティがご馳走でした。

大人になって見てみるとそうでもないのですが当時はグラウンドがとても広く感じました。昼休みは皆なで必ずドッジボールをやって遊んでましたね。「アタックNo.1」や「サインはV」が人気でバレーボールも盛んだったかな。

学校の真ん前に文房具屋さんが二軒あっていつもどちらかで 鉛筆やノートを買ってました。久しぶりに見たらまだ二軒とも建物は健在のようで。(今も営業してるかどうかは分かりませんでしたが・・・)

この日は小学生が野球の練習をしてました。皆な元気に大声を出していました。当時は地区対抗のソフトボール大会を夏休みにこのグラウンドでやっていました。私はなぜかキャッチャー。打順は8番。6年生の最後の大会。めったに息子の試合を見に来ない父親が珍しく校舎の片隅で隠れるようにして試合を見ていました。試合にあっさり負けて家に帰っても何も言わない父親でした。

45年ぶりに足を踏み入れた母校は当時とほとんど変わらない表情で 私を迎えてくれたように思えました。