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臥龍梅 山口瑠美さんその5

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新
洞泉寺の入り口
幼いころ、休日は父が吉香公園に連れて行ってくれました。
その帰りによく立ち寄ったのが「洞泉寺」でした。
父は敷地に入ってすぐの左手にある背の低い梅の木をいたく気に入っており、この木の前でいつも立ち止まるのでした。

私の話に移る前に、洞泉寺のご住職から伺ったお話を書かせていただきましょう。
このお寺に於いて「臥龍梅」と呼ばれている梅は、門の中にある梅の木を「龍の頭」、道路のそばに咲く梅の木を「龍のしっぽ」と見立て、全てで10本の梅の木を総称でそう呼ぶそうです。
「龍の頭」と言われる門の中の梅
(写真は、「龍の頭」と言われる門の中の梅)

それはそれは見事で、花を咲かせる時期もそれぞれの木で違うため、長い間「梅」を堪能できるとのことです。
長い冬を越え一番に可憐な花を咲かせ春を知らせる「梅」というのは、禅寺の教えとも通じるものがあり、非常に関係の深い大切な存在なのだそうです。

さて、本題に戻ります。

洞泉寺は錦帯橋をお城側へ渡ったところから歩いて約7分ほど、少し奥まったところに在ります。
白壁と、美しくお手入れされた砂紋は、凛とした空気を漂わせ、背筋が伸びるような佇まいです。
ご住職がおっしゃるところの「龍のしっぽ」に当たる梅の木を、父はいつも「臥龍梅」として私に教えました。
「龍のしっぽ」に当たる梅の木
(父がいつも立ち止っていた梅の木)

樹齢400年を越えているらしく、一度折れ曲がりそしてもう一度上に伸びるそのうねった幹を指差し、何か言っていた横顔を思い出します。
一度折れ曲がりそしてもう一度上に伸びるうねった幹

その当時の光景は鮮明に覚えているのになぜか音がなく、幼子の記憶としてずっと残りました。
あの当時は何の感動も覚えなかった梅の木。
15歳で故郷を出て歌の道に入った私は、何度もくじけそうになりました。
何度も泣いて何度もくじけて、何度も絶望して・・・、ですが、そのたびに頭をよぎったのが「臥龍梅」のことでした。

もっとも上京するとき、父と約束をしていました。
「成功するまで絶対帰ってくるな」という約束です。
一人娘だった私を東京へ送り出す事はどれほどの覚悟があっただろう・・・と、今となれば親の気持ちを察することができます。
しかし、市川昭介先生という神様みたいな存在の方にお声かけを頂いた私に、行かないという選択はありえませんでした。
結果父は一人残り、私と母が上京することになったのです。
1年に1~2度くらいは山口県内でお仕事があったため帰郷しましたけれども、それ以外は絶対に帰りませんでした。
「父との約束」は大きな大きな石となって、「覚悟」を確固たるものにしていたのです。

「成功」ということが何かはわかりません。でも、私が父から静かに教えられたことは「臥龍梅」の姿にこめられていた気がするのです。

2013年、その父が突然他界しました。

私は一生分の涙を使ってしまったのではないかと思うくらい泣きました。
後悔と悔恨の念に、朝は二度と来ないような気持ちになりました。
ちょうどその時、私は新曲のレコーディングと連日の舞台が続いていました。
テイチクレコードのディレクターさんからは「レコーディングも発売日も考えようか・・」という話もあったのですが、生前の父に何度も言われていた言葉がありました。
「万が一どんなことがあっても、仕事の皆さんに迷惑をかけちゃいけんよ」と。

母に先に帰郷してもらい約1週間、父を守ってもらいながら私はレコーディングまで終え最終の飛行機で帰郷しました。
親不孝をしたと自分を責めながらの毎日だったからこそ、父の教えや思いを貫き通さねばというそんな思いがあったのだと思います。

「臥龍梅」は決して華やかな花ではありません。
香り高く、花屋の表玄関に並ぶものでもありません。
「歌の道」に入った人間は、「ひまわり」や「バラ」を志してよいのだと思います。
そうなるべきだと思うのです。
しかし、岩国で生まれ岩国で育ち岩国を愛してやまなかった父は「臥龍梅」を娘に教えてくれました。
人生はつらいことがたくさんあり、花の咲かない1年を過ごすかもしれないけれど、そんな時こそ根をはり、深く深く地面に根を張りいつかくる春を待つのだということを。
長く離れて暮らしていたけれど、幼いころ父が見せた「臥龍梅」の姿から、私はこんな風に生きていこうという教えをもらっている気がします。
決してあきらめず、春がくれば静かに可憐な花を付ける。
幹は老骨の如き姿だけれど、届ける笑顔は何百年たっても「可憐」であること・・・。

2015年2月にテイチクエンタテインメントより発売された「呼子舟唄」のカップリング曲として、私が初めて作詞をした「臥龍梅」という歌をディレクターさんが入れてくださいました。
「小さな花は土深く 根を張り生きて春を待つ お前もそんな花になれ」
そんな風に生きていきたいと思うのです。

皆様約1か月の間、「私の岩国 山口瑠美編」にお付き合いくださいましてありがとうございました。またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。