「私の岩国」第60回は、料理人・パティシエの横山久美子さんにご出演いただきました。
取材を行ったのは、8月の上旬。
ほぼ快晴というお天気の中、最初に訪れたのは横山さんが育った岩国駅東側の住宅地、通称「人絹町 (じんけんまち)」でした。
人絹町という地域名は、1927年 (昭和2年) にこの地に開業した「帝国人造絹絲株式会社 岩国工場」(現 帝人株式会社 岩国事業所) に由来すると言われていて、今でもこの地域名は地元で広く使われています。

このエリアには多くの公園が整備されていて、横山さんが子どもの頃は、毎日学校で「今日は〇〇公園!」と、みんなでその日に集まって遊ぶ公園を決めていたそうです。

これは、とある公園に植えられた木の根本です。
小学校を卒業するときに、みんなでこの辺りにタイムカプセルを埋めたのだとか。
でも、残念ながら数年前に有志で掘り起こした時には見つからなかったそうです。
今でも、どこかに眠っているんでしょうか、、、

あまりに暑かったので、市役所でしばし休憩。

岩国駅の東口と西口を結ぶ地下通路へ降りる横山さん。
2017年 (平成29年) に、岩国駅の橋上化に伴い、高架の「東西自由通路」が供用開始となりましたが、現在でも地下通路は改修して使い続けられています。

知り合いのラーメン屋さんに「これを食べてみんさい!」とばかり、寿栄広食堂のラーメンを送り付ける横山さん。(笑)

「きれい〜♪」を連発しながら錦帯橋の遠景を撮った後は、河原に出て橋の真下から裏側の木組みを熱心に写真に撮っていらっしゃいました。
さすが、美しいポイントをよくご存じです。

佐々木屋小次郎商店の店長さんは、なんと、当時のアルバイト仲間でした。
店内奥のスペースにはベンチ・縁台があり、日差しを避けてゆっくりと座って過ごすことができます。


岩国ウインドアンサンブルの練習場所にて。
当時の写真を、団長、団長の奥さまとともに懐かしむ横山さん。
何事にも懸命に取り組む横山さんのことを、取材の中でお会いした方々は、みなさん、とてもよく覚えていらっしゃいました。
小さいころから、書家のお父さんに「勉強よりも、自分の好きなことに一生懸命取り組みなさい」と教えられて育ったそうです。
小学校で始めた楽器を良い環境で続けたい!と思って、大人ばかりのブラスアンサンブルへ。
飲食の世界って楽しい!と思って、和食職人の修行の道へ。
そして出産を機に、料理人として培った経験を生かしながら、子育てと両立できる働き方を求めて、パティシエへと転身されました。
「パティシエになって、一番良かったと思うことは何ですか?」と尋ねると、
「お客さんがお店に入ってくるときに、すでに皆さん満面の笑顔なんです。 とくに小さいお子さんは(笑) お菓子は手に取る瞬間から人を幸せにできる力があります。」
とうれしそうにおっしゃいました。
きっと、こちらまで笑顔になりますよ♪