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私の原点「愛宕小学校」 新保友映さんその1

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

今回、故郷「岩国」を紹介するこの場で、私にお声がけいただけたこと、大変嬉しく思っております。
大学入学と同時に上京し、東京で生活する時間が、岩国で過ごした年月を既に少し超えてしまいましたが、実家は今でも岩国にあるので年に1~2回は帰りますし、何より心の故郷。
自慢できる故郷があるというのは幸せ者だなあと、上京してから何度も思いました。
さて、この度この記事を担当させていただくにあたって、訪問希望先にあげたのが母校:愛宕小学校。「私」という基礎を作ってもらったところです。

愛宕小学校の外観

挙げると思い出にきりはないのですが、まずは珍しいものとしてご紹介したいのが、鳥居と神社。
相撲の土俵も。
これらが校内にあるんです。

愛宕小学校の敷地内にある神社

私の自宅から校内に入るには、この鳥居のところが一番近い入口。

鳥居の写真

今の生徒さんたちはわかりませんが、私が通っていた頃は母が通っていた頃からの風習ということで、登校時鳥居をくぐる時にはまず一礼をしてから、下校時は鳥居をくぐってから振り返って神社の方を向き、一礼して帰っていました。
岩国錦帯橋空港のすぐ近くの小学校ですので、もしお近くを通られた際は、神社や鳥居、ちょっと見てみてくださいね。

さて、今回訪問させていただいたのは日曜日でしたが、校長先生のご厚意で校内にも入らせていただきました。

愛宕小学校正面玄関と校長先生

入ってみたら…。

床の木も、教室のドアのきしみ方も、匂いも、黒板も、靴箱も…まったく変わらずそのまま。

教室内の様子

一気に私を、小学生時代に引き戻してくれました。

とても不思議なことなのですが、私は夢で「学校の夢」を見ることがよくあります。
必ず、この靴箱と1階から2階に上がる階段が出てくるんです。

靴箱と階段の写真

私にとっての原風景なのですね。
(精神年齢等、全く成長していないのかもしれませんが(笑)しかも、なぜそんなに学校の夢をみるのでしょう…)

そして私にとって、一番大切な音楽室。
4年生の時から「音楽クラブ」に入り、フルートを担当して、オーケストラでベートーヴェンの「運命」など様々な音楽を演奏したのが何よりの思い出です。
クラブ活動は基本的には5年生からなのですが、当時の音楽クラブは勢いもあり、人数も多い方がいいと、ピアノをやっていて音楽経験があるということで声をかけてもらい、私の母がフルートを持っていたのでそのフルートでクラブに参加しました。
(そのフルート経験が、ニッポン放送に入社した1年目に「中継コーナー」に活き、「フルートの新保ちゃん」と多くの方に覚えていただけることに繋がるとは想像すらしていなかったことですが…)

音楽室の様子

当時、「藤井先生」という女性の音楽の先生が、ご自身でも弦楽器をたくさん集めて下さり、オーケストラの指導に力を入れて下さっていました。
小学生でクラブ活動のみで、しかもオーケストラ編成で音楽を奏でる、というのはとても大変なことで、技術面でも統率面でも大変な苦労をして下さっただろうなと、改めて今、感謝の思いを伝えたいです。
岩国市の文化祭や岩国祭など、多くの場での演奏経験をいただきました。

音楽室で集まって練習をしたり、階段のところでパート練習をしたり、自主的に放課後練習をしたり。
そういったことがなんだかちょっと大人になったような気持ちも体感させてくれていたなと。

今回訪問したら、音楽クラブ、というのは既になくなっており、現在の校長、世良先生も、なぜうちにはこんなに楽器がたくさんあるのかと疑問に思われていたそうです。
当時使われていた楽器が思っていたよりたくさんそのまま保管されていたのには、涙が出そうになりました。

音楽室にあるたくさんの楽器たち

改めて、幼い頃に経験した一つ一つのことが、「自分」というものを作り上げてくれているんだと感じ、当時の先生方、友達に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

新保 友映