市指定史跡 渡辺飛騨守宝篋印塔及び関係宝篋印塔
印刷用ページを表示する 掲載日:2022年1月19日更新
(指定)昭和59年12月10日 (所有者)長栄寺
渡辺飛騨守は毛利元就に仕え、陶晴賢との厳島の戦いや石州尼子征伐等に参加し、数々の武勲を立てていたが、後半には広瀬朝霞に居住して五千石を領し山代の押さえをなしていた。本名は長、通称左衛門太夫といい、従五位下で天文3年(1534)8月21日、備後国で出生、慶長17年(1612)2月24日、79歳で死去した。妻は元和元年(1615)死去。長子は元で五郎右衛門と称していたが、後土佐守を賜っていた。元和4年(1618)7月12日死去。67歳。
渡辺飛騨守は毛利元就に仕え、陶晴賢との厳島の戦いや石州尼子征伐等に参加し、数々の武勲を立てていたが、後半には広瀬朝霞に居住して五千石を領し山代の押さえをなしていた。本名は長、通称左衛門太夫といい、従五位下で天文3年(1534)8月21日、備後国で出生、慶長17年(1612)2月24日、79歳で死去した。妻は元和元年(1615)死去。長子は元で五郎右衛門と称していたが、後土佐守を賜っていた。元和4年(1618)7月12日死去。67歳。


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