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米軍岩国基地 善本桂子さん その4

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 このお話をいただいたとき、訪ねてみたいところを聞かれてまず岩国基地へ、と答えました。しかし新型コロナウイルス感染拡大防止のため、入門することが厳しくなっており、中へ入ることが叶いませんでした。日本人の職員が中へ入ることができなかったり、アメリカ人の子どもたちが日本の幼稚園や小学校へ通うことができなかったりする日々が続いていました。もう10数年基地の中へ入ったことがないので、今どうなっているのか分かりません。古い建物がなくなり、新しく建て替わっていることでしょう。
 今回は古い写真をもとに、思い出を辿ってみたいと思います。

 

 30歳を少し過ぎたある日、「英語のできるピアノの先生を知らない?」と声がかかりました。「司令官の子どもたちがピアノを習いたいと言われているので・・」とのことでした。何人かの友人に聞きましたが、誰も手を挙げてくれません。「誰もいませんでした」と返事しましたところ、「じゃ、あなたやってちょうだい!」とのこと。まさか自分に依頼されるとは思ってもいませんでしたので、驚きの結果になってしまいました。
 英語は大嫌い、話すのもとんでもない、自分とは関係ないと思っていましたから、お引き受けするにあたり、ずいぶん悩みました。「ハロー!」の次に何と言っていいのかわからないくらいだったのです。

 ところが、紹介されたForneyさん家族はとてもいい方でした。パパのBillさんはパイロットで、F-18ホーネットという戦闘機にご自分の名前が入っていました。司令官のオフィスに連れて行っていただきました。

ホーネットとオフィス

 

 ママのCarolさんは、毎日のように「ハイ!ケイコ!」と声をかけてくださり、映画、ボウリング、ピクニック、ランチなど、数え上げればきりがないほど色々なところへ一緒に出掛けました。子どもたちからは「家に来て!」「今日はディナー一緒に食べよう!」「泊まって!」など毎日のように声をかけてもらいました。家族みんなで私の英語コンプレックスを何とかしようと考えてくださり、しばらくして英語で会話をしている夢を見たときは本当にびっくりしました。帰国されるまでの2年間濃いおつき合いをさせていただきました。

Forney家の前で

↑Forney家の前で。後ろに見えるのがおうちです。表札が鳥居でできていました。

 

 アメリカ人はどんなに練習していなくても自分を否定しないことや、ドレミを使わないでa b cで歌うことなど、日本の音楽の慣習とは違うさまざまなことを目の当たりにして、ぜひ日本人の生徒さんにもこの気持ちを味わってほしいと思いました。日本人とアメリカ人の子どもたちのレッスン時間を交互にして、子どもたちやお母さんたちもお互いに触れ合えるよう工夫しました。その結果子ども同士が友だちになって連弾をしたり、家族で行き来したりする様子が見られました。

ピアノレッスンの様子

 

 MARINE CORPS BIRTHDAY BALL(海兵隊誕生の式典と舞踏会)に招待されたときは、正装で来るように言われました。軍人さんたちは勲章をつけ、奥さんたちもロングドレスという正装でした。私も学生時代舞台に立った時の衣装を引っ張り出して着て行きました。内容はよく分かりませんでしたが、これまで見たこともない立派なセレモニーとダンスパーティーは深夜まで続きました。

Forneyさんご夫妻と一緒に

↑Forneyさんご夫妻と一緒に

 

 司令官には、着任 離任の時交代式があります。天気が良ければ戸外で(雨天の時は格納庫で)隊の旗を受け渡し、司令官が代わったことを告げ、隊員が行進します。そのあと大きなケーキがお披露目され、切って参加者に配られるのですが、その色や甘さにびっくりしました。

交代式

↑(左)交代式で旗の受け渡し  (右)兵士と大きなブルーケーキ


 Judyさんはピアノの生徒Lyndseyのママで、小学校の音楽の先生でした。歌がとても上手で、動きをつけた歌の指導はリトミックと通じるものがあり、見せていただいた5年生の授業は先生と子どもたちが対話しながら進み、最後に動きながら合奏するとても楽しい時間でした。

小学校の音楽授業

↑小学校の音楽授業


 およそ2年から3年で帰国する基地の人たちですが、次々と紹介され、大学へ就職するまでかれこれ20年くらいアメリカ人の子どもたちとピアノを通じたおつき合いが続きました。この、英語でレッスンしたり子どもたちと会話したりする時間は、のちにリトミックの国際免許を受験するときのティーチング課題や小論文を書く時の大きな助けとなりました。


 付録ですが。
 Forneyさんとのお付き合いはその後も続いています。夏期講習で訪米したとき泊まらせていただいていた朝、湾岸戦争が始まりました。パパのBillさんはサウジアラビアへ行かれましたし、帰られたあと沖縄赴任され、リタイアの交代式、最後のフライト 放水式に参列させていただきました。

 

 善本 桂子