こんにちは、善本桂子です。
初めてリトミックに出会って50年の月日が経ちました。60余年も生きてきて、そのほとんどがリトミックと共にあったような気がしています。今でこそ、どこの幼稚園保育園でも取り入れられ、子どもたちのお稽古事のひとつとして馴染みのあるリトミックですが、大学を卒業した当時は、「何 それ?」と何度も聞かれました。ピアノの音に合わせて動く子どもたちはとても楽しそうで、遊んでいるように見えたようです。多くの子どもたちとの時間は私自身にとりましても本当に楽しく、毎回子どもたちの反応にワクワクしながら、保育者や保護者の方々に支えていただいて過ごしてきました。
この度の「私の岩国」の企画は、自分が生まれ育ち、多くの方々に出会った岩国でのこれまでを振り返るよい機会になったと、お話をいただいたことに感謝しています。アルバムを開いたり、懐かしい通りを歩いたりして思い出したことを綴らせていただきます。
幼いころから音に敏感だったようで、雨の音やクラクションの音を楽音と捉えて、「今日の雨の音は何の音?」と家族に聞いていたそうです。家には足踏みオルガンがあり、祖父の膝に乗ってペダルを踏んでもらって弾いていた記憶があります。カラオケもない時代にラジオの音楽を聴き、歌ったり踊ったりしていたようです。
4歳になった頃、当時まだ珍しかったピアノを買ってもらい、叔父の勧めがあり西岩国の福島先生に教えていただくことになりました。市役所から新小路までバスに乗って毎週レッスンに通いました。
↑新小路バス停
重い楽譜のカバンを持って元気にスキップしながらこの道を通ったことを思い出しました。
しかし、「行きはよいよい、帰りは涙。」練習が嫌いだった私は練習不足をよく叱られ、森木口バス停のベンチでは泣きながらバスを待ったものでした。
↑森木口バス停
福島先生は、基礎的なことをしっかり教えてくださる先生でしたから、楽譜をきちんと読み取ることや、指の形を整えていい音を出すこと、自分の音をしっかり聴くことなど、音楽を学ぶために必要なことを厳しくレッスンしてくださいました。
↑福島先生ご夫妻と
社会人になり、久しぶりに先生のお宅を訪ねた時の写真です。その頃は山口芸術短大で教えておられました。学生のために書かれた著書をいただき、今も大事にしています。
泣きながらもピアノに向かっていた日々があったからこそ、音楽の道へ進むことができたと、改めて先生に感謝しています。
善本桂子