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名越達彦さん『私の岩国』 ロケ風景

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

 今回、取材させていただいたのは、株式会社パネイル社長の名越達彦さんでした。


 株式会社パネイルといえば、2018年12月17日の日本経済新聞で、「NEXTユニコーンランキング(将来的に「ユニコーン企業」となる可能性がある未上場の企業)2位」に選ばれた、国内屈指のスタートアップ企業です。ユニコーン企業とは資産10億ドル(約1,100億円)以上、起業して10年以内などの条件をクリアしたベンチャー企業のことで、その存在が希少なことから伝説の生き物であるユニコーンなぞらえられているものです。
 

 【平清(ひらせい) 神尾さん】
 名越さんが通っていた鷗州塾の講師だった、神尾さんがいらっしゃるということで訪問しました。神尾さんは家業を継ぐかたちで塾の講師は辞めて、現在は「平清」の店主をされておられます。本文中にある錦帯橋の写真は実は、「平清」2階から撮影したもの。錦帯橋すぐそばの好立地にある日本料理屋です。
 名越さんと神尾さんとは終始和やかに、当時の思い出話を話されていました。当時の塾生さんの話が中心で、あまりついていけませんでしたが、聞いていると、本文中にもあった合宿の様子などけっこうスパルタな印象で、小学生がよくついていけたなと感心しました。
 これも神尾さんをはじめとする先生方が厳しくも愛情をもって接したことと、まわりの同級生と切磋琢磨する関係があったためだと感じました。
ひらせい前にて

ひらせい店内から錦帯橋をのぞむ

 

【錦帯橋】
 ちょうど取材のころは紅葉の季節だったため、多くの観光客でにぎわっていた錦帯橋周辺。名越さんは学生時代には何か悩みがあると、自転車でやってきた場所なのだそうです。
 錦帯橋もそうですが、橋を渡った先にある吉香公園も含めて市民の憩いの場になっており、そうした雰囲気に心が落ち着くからなのかもしれません。公園名物の大噴水はあまり冬場は稼動していないのですが、この日は幸運にも放水していました。

吉香公園で写真を撮る名越さん

錦帯橋上で写真を撮る名越さん

 

【白蛇神社 松村さん】
 名越さんの小学校時代の担任だった松村さんは、校長先生を経て定年を迎え、現在は一般財団法人岩国白蛇保存会の事務局長に就任されていました。取材当日は卒業アルバム・文集なども持ってきてくださり、名越さんも現在、手元に持っていないということで、非常に懐かしそうにご覧になっていました。
 お二人の会話を聞いてみると、夏休みの自由研究で原稿用紙100枚もの作文(小説)を書いて提出する同級生など(そのため名越さんの自由研究はかすんでしまったそうです)、かなり個性的な方が多かったという印象でした。これは「何か一つだけで良いから、頑張れることを見つけなさい」という松村さんの教えがあったため。名越さんもその影響を受けたのだと思います。
 ところで「岩国のシロヘビ」は国の天然記念物に指定されています。今回、訪問したのは市役所からも近い、白蛇神社に併設された飼育施設(今津観覧所)ですが、錦帯橋のロープウェー麓駅のところにも、「シロヘビの館」があります。生きたシロヘビの観覧はもちろん、さまざまな体験コーナーもあり観光スポットとしても人気です。
松村さんと話す名越さん

白蛇の写真

 

【名越車輌】
 こちらは本文中にもあるように、名越さんが高校卒業まで生活していた場所でもあります。工場の真上に建っているような、現在では考えられない構造ですが、玄関の前に立ってみると意外に普通のお家。しかし周りを見回すと、ちょっと浮かんでいるような不思議な感覚を味わえました。現在は誰も住んでおらず、残念ながら中には入れませんでした。名越さんが少年時代を過ごした部屋から見える風景を、ちょっと見てみたかったのですが…。
 ちなみにこの家に入るには、工場の脇から坂道を登る必要があります。けっこうな勾配で上がるのもひと運動ですが、降りるのもちょっと怖いぐらい。過去には名越さんの飼犬が脱走して、この坂道を下って逃げたのはいいものの、勢いがつきすぎて前の道路に飛び出してしまったこともあったそうです(幸い飼犬は無傷で捕らえられました)。

名越車両の前ににて

名越車両の前で記念撮影

 

 今回の取材で印象に残ったのは、やはり名越さんと思い出の人との再会でした。青雲の志を抱いて郷里を離れ、いまや全国有数のベンチャー企業の社長になられた名越さん。社会的な立場は大きく変わられましたが、恩師の方々や名越車輌の方は普段どおり接している感じで、名越さんもリラックスして思い出話に花を咲かせていました。このお互い飾らない様子を見ていると、名越さんが昔、過ごしていた日々が見えてくるようでした。

 数年前にお父様が亡くなられてから、ちょくちょく岩国に帰省されるという名越さん。そのお父様からは「名越車輌は継がなくて良い」と子どものころ言われていたそうです。きっと経営の大変さを知る親心からだと思いますが、結局、名越さんは同じ経営者の道に進まれました。多くの従業員の生活の責任を背負う経営者という立場は、なかなか気が休まるときがないと思われます。名越さんご自身もこれまで大変だった時期もあったそうで、自分のように経営者を目指すのはお勧めできないと仰ってました。今回、お話を伺ったのは短い時間でしたが、いろいろなエピソードから感じたのは名越さんはとても負けず嫌いだということ。だからいろんな責任から逃げることはないし、挑戦し続けていらっしゃるのだと思います。しかし弓も張り詰めては、弦が切れてしまいます。たまには「変わらないふるさと」で、ゆっくり心を休めていただければと思います。ふるさとはいつでも待っていますよ!

幼い名越さんを抱くお父様

↑幼い名越さんを抱える、名越さんのお父様

 

 それではこれからの益々の発展を期待しております。名越さん今回はありがとうございました。

市長室前にて