第6回目は、私の母校である麻里布小学校。
「私の岩国」で母校を紹介される方多いですが、私にとっても麻里布小は今回外せないものとなりました。
当時坊主頭(三枚刈り)だった私は、小学校5年生から鷗州塾に通いながら、普通の小学校生活を送っていたものです。
ただ私にとっては全て特別な景色。
↑中央にいるのが、名越少年。幼い顔してますね。
6年生の教室。うっすら記憶にあるアングルから眺めてみました。
小学校3年生から使えた図書室。借りた本が貸し出しカードいっぱいになると一度に借りられる本が増えるシステム。なんだか無性に読書欲をかき立てられました。愛読書は「ズッコケ三人組」
おやつ代わりに、校庭のツツジの花を取って蜜をすするのが日課でした。おやつ買ってもらえなかったんで、よくお腹すいてたんだと思います。
クラブ活動は金管バンドクラブ。ユーフォニアムを響かせていました。
部長をやっていたこともあり、岩国祭では駅前の商店街を行進したことも覚えています。鷗州塾を午前中で抜けて、午後からパレードに参加しました。
↑ユーフォニアムを抱える私(上段左から二人目)
「私の岩国」のために、小学校6年生のときの担任、松村先生と約30年ぶりに再会できました。
しかも先生は当時の卒業アルバムを持参くださいました。
非常に恥ずかしいのですが一部だけを紹介させていただきます。(本当に恥ずかしい!)
小学校のころの私の夢は「先生」。松村先生の話も。
渾身の俳句。ここはあまり見ないでほしい。
松村先生からの当時の僕への評価は有難いことに「気は優しく力持ち。皆にやさしく、学力はぶっちぎり。」だそうです。
私の父の教えですが、「人に優しくありたいなら強くなれ、強い人は優しい人だ」という考えを意識していたのかもしれません。
松村先生は、現在「一般財団法人 岩国白蛇保存会」の事務局長をされているとのことで、ここは岩国白蛇神社。
金運や商売繁盛にもご利益があるとされており、しっかり祈願してまいりました。
思わぬ再会、心から嬉しかったです。
前回ご紹介した鷗州塾の神尾先生、そして今回の松村先生をはじめ自分を育ててくれた岩国の人たちに本当に感謝の気持ちでいっぱいで、いつか恩返しができたらなあと思っています。
次回は、私がよく通っていたお店を紹介します。
名越達彦