第2回目は、私の幼少期を語る上で外せない「中央フード 山手店」です。
幼少期の頃、よく母に連れられて日々の買い物で通っていた場所です。
30年以上の月日が経っても、変わらず営業されていて素晴らしいです。
岩国市立のえきまえ保育園に通っていた3歳の頃、たしか年少クラスだったと思います。
ある日、牛乳が飲みたくなった3歳の私が冷蔵庫をあけたところ、飲めそうなものは全く無くて。母に訴えたのですが、小さな妹とお昼寝してて取り合ってもらえませんでした。
「ここは起こすのは悪いし、いつも行っている中央フードに牛乳買いに行こう」
ということで、コインを握りしめてお出かけをしたわけです。
この時私は3歳で、1人で外出するということも初めてだったのですが、なぜかためらいは一切なく
「きっと僕が牛乳を買ってくればお母さんも妹も喜んでくれる」
と成功イメージに満ち溢れた目論見がありました。
ちなみに中央フードと当時住んでいた家はGoogleMapで調べたところ400mの距離感でした。
記憶にある道を、すたこらさっさと歩き無事にたどり着いた中央フード。
当時の自分にとっては1リットルの牛乳パックも重く、持っている少年を見てレジのおばちゃんも「頑張れ!」と応援してくれたのも覚えています。
さあ、これで牛乳をゲットしたぞと自信たっぷりにおばちゃんに渡したコインの発行元は「こども銀行」・・
3歳児に日本銀行券は早すぎたみたいです。
応援してくれていたレジのおばちゃんにもすげなく断られ、あえなく名越少年初の挑戦は失敗しました。目論見が外れる、というのはこういうことなんでしょう。
なぜ目論見が外れたのか理解しきれず、買えなかったショックに号泣しながら帰りました。
帰り道、心配して見に来た母と妹に無事に捕獲されました。
私の母はとても結果に厳しい人なので、「勇敢な行動」と評価することなく、「どんくさいヤツ」と評価され、そこから10年くらいネタにされました。
(次の日あんなに保育園でいじらなくても良かったと思います(苦笑))
小さなお話ですが、私にとってはこの経験が「はじめての大挑戦」でした。
思い返すと、挑戦しないで家で牛乳を我慢しているのは自分の性に合わなかったんだと思います。
勝ち得たいものがあるなら、自らリスクを取りに行く私自身の姿勢はこの頃からあったんだと思います。そういう私に対して、母は過程を褒めたりせず、結果に対してのみ評価するという現実を常に突きつける人でした。
いま私自身が経営者になって理解できたことですが、これは父母も経営者であるがゆえに、結果責任のプレッシャーと常に戦っていたんだと思います。挑戦することをためらわず、常に前に進む人間が失敗したときの揶揄なんてこんなものじゃないと私に教えようとしたのかもしれません。
次回は錦帯橋に参ります!
名越達彦