弘兼:錦帯橋の下の方に降りていくと、河原が駐車場になっていますよね。あの中に降りて、歩いていくと龍江(吸江)っていう、僕が釣りをしていたポイントがあるんですよ。そこは深みになっていて、割と大型の魚が釣れたんです。あと錦城橋ありますよね、錦城橋のちょうど真下あたりにポイントがやっぱりあって、あそこも大きな鯉が釣れたんですよね。
市:その当時は、もっと水深が深かったんですか。
弘兼:深かったですね。(水難事故で)よく亡くなってましたよ。
市:釣られた魚は?
弘兼:もちろん食べます。僕もさばいたりしましたけど。大きな鯉とかは、親父とかがさばくんですけど。僕は小さいハヤとかね、ああいうのは、腸(はらわた)を出して、片栗粉と塩を付けて天ぷらにする。あとは、関戸に病院があったんですけど、あそこの向かい側あたりがよく釣れるポイントでしたね。あと御庄橋あたりもポイントでしたね。
市:餌はどうされていたんですか。
弘兼:餌は自分で作るんです。基本リールで投げ釣りをやってましたんで、さつ まいもをつぶして、それに小麦粉と米ぬかを炒ったやつを入れたり。それから「はったい粉」とか、そういうのを混ぜ込んだりしました。。あと釣具屋に売ってるんですけど、「さなぎ粉」っていう、ハエのさなぎをつぶした粉末があって、その匂いに魚が寄ってくるんです。それを練りこんでいって団子にする。
あ、あそこが龍江(吸江)ですね。そこはよく釣れましたね。ちょうど、一番印象的だったのが、ケネディ大統領が亡くなったとき、あそこで釣ってましたね。初めて日米間の衛星中継があったときです。その第一報がケネディが死んだっていうニュース。あそこで聞きましたね。ラジオ持ってて。
昔はもっとゴツゴツの石があったけど、今はもうちゃんと均してるんですね。観光バスが駐車できるように。
(龍江(吸江)にむかう)
弘兼:あの岩のあたりに向けて投げるんです、リールを。それで何本か立てといて、鈴を付けといて。食いついたらリリリーンと鳴るようにしておく。小さい竿は、この辺で寄せ餌を撒いて、集まってくるハヤを釣るんです。今でも水が綺麗ですね、やっぱり。
市:ここら辺で泳いでいた?
弘兼:ここら辺は危なかったんで泳がなかったですね。泳ぐのはもっと下流で。あの岩徳線の鉄橋の下とかね。鉄橋の下でね、本当はいけないんですけど、鮎が上流にむかって進もうと停止しているんですよ。それを釣り針で引っ掛けて獲ったりして。禁止ですから、あれは(笑)。漁協に見つかったら怒られますが、子どもたちは獲ってました。
↑昭和31年頃の錦帯橋の様子
弘兼:このへんも鮎がいたんですが、いまこのへん鮎は?
市:いまちょうど鮎をかけている人がいらっしゃいますが。
弘兼:あー、コロガシやってんだ。友釣りですか、あれは。
市:そうですね。友釣りが多いでしょうね。
弘兼:やっぱり鮎が住んでるんですね。
市:上流の方ではけっこう放流しているようです。
弘兼:あー、放流ね。(美川町の)南桑とか、あの辺いっぱい釣り人がいますよね。錦川の上流のね、宇佐川でしたっけ。あそこの鮎は美味しいですよね。利き鮎コンテスト(清流めぐり利き鮎会)っていうのを、毎年、四万十川でやっているんですけど、2回グランプリを獲っていますね。準グランプリも一度。
市:大きくて、普通の鮎とはぜんぜん違いますよね。
弘兼:あー、そうなんですか。大きいんですか。コケがいいのかなあ。
市:ほかに錦帯橋あたりで思い出はありますか。
弘兼:そうですね。あとは受験勉強のとき、あの当時は家にエアコンとかない時代ですから、夏は非常に暑いので、錦帯橋の下の河原に行ってボートに乗って、その上で英単語の暗記をするんですよね。それもただ黙って乗っているだけではなくて、上流の錦城橋のほうまで漕いでいって、あとは櫓を放してずぅっと下って行くんです。その下っている間に英語単語を何個か憶えていって、だんだんと瀬が近づいてくると、また漕いで上流までいって、またずぅっと下りながら憶えるという。ゲームみたいなかたちで、体を鍛えるのと一石二鳥で英語の勉強をしていたのを思い出しますね。だんだん夕方になると、「舷(ふなばた)たたいてドントセノセ」っていう音楽が聞こえてくる。
市:鵜飼音頭。
弘兼:そう、鵜飼音頭とかが聞こえるんですよね。それを聞きながら英単語を覚えていたような記憶がありますね。
弘兼:錦帯橋とその周辺ですけど、僕の仲間をときどき東京から連れてくると、このへん来るとみんな感動しますね。佐々木小次郎の銅像があるじゃないですか、あのへんからずっと歩いてロープウェーの方にいくまでのあの道がすごいって言いますね。あと鵜飼ですかね。鵜飼で、屋形船に乗って、みんな見たことないですからね、あんなかがり火たいてやるのを。
市:この秋にはかがり火を30基たいて、その明かりで錦帯橋を見ようというのをやります。
弘兼:ああそうですか、良いですね。
市:錦帯橋芸術祭というんですけど、日米が橋の上で英語と日本語で市歌も歌います。
弘兼:ああ良いですねそれは。良い試みですよね。そういうイベントを時々、京都のほうでもやってますもんね。ライトアップして、テレビなんか中継でやってますけども。
市:ライトアップというより、昔ながらのかがり火で、あえてライトアップをしないという。
弘兼:薪能のような感じですね。
市:はい。そういうようなイメージで、錦帯橋を見ようという催しです。
↑篝火に照らされる錦帯橋
今回登場した場所
【錦帯橋】
岩国市の錦川に架かる錦帯橋は、護床工(ごしょうこう)と呼ばれる石敷が守る中央4基の橋脚、両岸の橋台に、中央3つのアーチ橋、両端2つの桁橋を架けた5連橋です。
日本三名橋の一つに数えられ、豊かな自然を背景として、国の名勝に指定されており、年間約60万人が訪れています。
1673年、第3代岩国領主吉川広嘉によって創建されて以来約350年、岩国の宝物として修復と架け替えを重ねながら、守られ続けています。
〇岩国の宝を世界の宝に
現在、この岩国の宝物を人類共通の宝物として後世に伝えていくため、世界文化遺産登録を目指しています。
中央3つのアーチ橋の構造は、「錦帯橋式アーチ構造」と呼び、この構造と同じ構造を持つ木造アーチ橋は、世界中、どこを探してもありません。この構造により、35.1mという破格に長い径間の木造アーチが実現しています。
また、5連のリズミカルな造形美や四季折々の自然との調和など、観る場所、時季によって無限の美を楽しむことができることも錦帯橋の魅力の1つであり、その美しさは、葛飾北斎や歌川広重などによって浮世絵にも描かれています。
↑歌川広重「六十余州名所図会(錦帯橋)」(岩国徴古館 所蔵)
江戸時代、徳川将軍家へ嫁いだ篤姫が薩摩藩から江戸へ上る途中、わざわざ回り道をして錦帯橋を訪れました。しかし、当時は錦帯橋を渡るには事前に許可が必要で、なかなか許可が下りなかったので、押しかけて橋を渡ったと記録されています。このように、錦帯橋には多くの人を魅了する美しさがあります。
(問い合わせ)
岩国市錦帯橋課 0827-29-5107
URL:http://kintaikyo.iwakuni-city.net/<外部リンク>
錦帯橋世界文化遺産登録推進協議会ホームページ
URL:http://kintaikyo-bridge.jp/<外部リンク>
【錦帯橋のう飼】
岩国の夏の風物詩「錦帯橋のう飼」は、毎年6月1日~9月10日まで、清流錦川に架かる名勝・錦帯橋のたもとで行われます。
屋形船の上でお食事などを楽しみながら、巧みな鵜匠の手縄さばきを間近でご覧になれます。
また、春には桜に彩られた河川を堪能できる「さくら舟」や、秋には川面を彩る紅葉の美しさを愛でながら水上散策できる「もみじ舟」も運航しております。
(問い合わせ)
(一社)岩国市観光協会 鵜飼事務所 0827-28-2877
URL=http://ukai.iwakuni-city.net/<外部リンク>
【錦川の鮎】
岩国の清流で育った鮎は、特に香りがよく、初夏の若鮎から晩秋の落ち鮎まで美味しく鮎料理を味わうことが出来ます。また、岩国市錦町を流れる錦川水系宇佐川で獲れる鮎は、全国コンクールで複数回グランプリを獲得しています。(鮎は苔しか食べないため、その品質は苔次第。錦川には純度が高い水が流れているので良い苔が育ちます。)
(問い合わせ)
岩国市商工振興課 岩国ブランド推進班 0827-29-5110
URL=https://iwakunimade.jp/<外部リンク>
【錦帯橋芸術祭】
錦帯橋芸術祭は、さまざまな芸術や伝統文化と一体となることで、錦帯橋の魅力をさらに高め、発信することを目的として行なっているもので、令和元年11月8日から10日までの3日間、錦帯橋周辺で開催されました。
本文中にあるようにかがり火の光だけで錦帯橋を照らすイベントをはじめ、岩国行波の神舞(神楽)、玖珂太鼓の演舞、筑紫琴凰会の邦楽演奏が行なわれ、日中には子どもでも手軽に芸術を楽しめるさまざまなワークショップや写生大会、お茶会なども開かれました。
今回で4回目となる錦帯橋芸術祭には、約6千人の方が来場し、文化・芸術の香りを楽しみました。
(問い合わせ)
岩国市文化振興課 0827-29-5211