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岩国工業高校吹奏楽部を訪ねて 河村貴之さんその4

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

室の木町二丁目と平家山・岩国市民文化会館・岩国城。

思い入れのある地を巡ってきましたが、最後に訪れましたのは、母校である岩国工業高校。ここの吹奏楽部に入るために入学したようなものです。

 

学校の正面玄関は何も変わらず。

岩国工業高校

横断幕にあるように、ハンドボール部やフェンシング部は伝統的に強豪。変わらぬ活躍が卒業生として嬉しいですね。

 

さぁ、思い出の吹奏楽部部室へ。

岩国工業高校

岩国工業高校

「失礼します!」

この言葉とともに入室すれば、一気にタイムスリップ。

 

私が在籍していたのは昭和63年〜平成2年。部室は昔とほとんど変わっていませんでした。懐かしい!

工業高校4

部員たちのいる、活気のある部室はいいものです。 

 

どこの学校もそうでしょうけど、吹奏楽部というのは運動部に通じる雰囲気があり、なかなかハードです。

当時の岩工吹奏楽部はおそらくその最たるもので、規律も厳しくスポ根ムード絶頂。なにしろ「男子は全員坊主」でしたから。 もちろん今は違いますが、私が入部した時はそうでした。

その後、二年生の時にいきなりまさかの長髪解禁。三年間坊主のつもりでいたのでこれは逆に面食らいましたが。

とにかく当時は本当に厳しかったです。よく耐え抜いたと本気で思いますよ。

 

在籍当時のアルバムを見せてもらいました。

岩国工業高校

岩国市民会館での定期演奏会の様子です。工業高校らしく、男子が多いです。

 

そして、マーチングに伝統的かつ本格的に力を入れていた部でした。 県内でもマーチングにおいて先駆けだったかと思います。演奏するだけでなく、どう「魅せる」か。これは音楽に限らずステージや芸術事全般においてとても重要な事です。岩工吹奏楽部で培ったこういった感覚は現在の私の音楽活動でとても役に立っています。

 

さぁ、せっかく部室に来ましたからには・・

お願いをして、マーチングのコスチュームを着させてもらいました!

岩国工業高校

軍楽隊のようなこのコスチュームは実に40年モノ。勿論今も手入れが施され現役です。

岩国工業高校

頭が大きいので帽子のサイズがピッタリではないですが(笑)、これをまた着られる日が来るとは思ってもいませんでした。嬉しいです!

 

更にお願いをして、現役部員皆さんと一緒に校歌を演奏。

工業高校9

工業高校10+11

しっかり覚えています。これまた感激!

 

そして、岩工吹奏楽部には「五か条」というのがあります。

岩国工業高校

毎日練習終わりに皆で唱和していました。  それは今も変わっていません。

 

指揮者であり吹奏楽部の先輩である山下やよい先生と、五か条を見上げ、

岩国工業高校

「五か条も言うてみんさい!」

ということで、五か条唱和にも参加することに。さぁ、覚えているのか、河村さん・・。

工業高校15

これはちょっとハードルが高かったですが、少しテンポ遅れ気味ながらも最後まで見ずに言えました!  ギリギリOK!(←自己採点)

 

コスチュームに校歌に五か条に、最高のタイムスリップでした!

岩国工業高校

卒業して30年弱。吹奏楽部の様子は、伝統として残っている要素もたくさんありOBとしてはその懐かしさが嬉しいものです。同時に、時代の流れに合わせ変化してきている部分もあります。それも必然かと思いますし、その変化があってこそ今の部員達が今の吹奏楽をできるのだと思います。

代々と歴史が続く中で、部としての進化を続けていてほしい。なので、現役の部員の皆さんには、伝統は伝統として、その上で新しい事にどんどん挑戦してみてほしいと思っています。

 

ここで過ごした時間は人生の中ではほんの二年半と短いのに、本当に濃密で忘れられません。共に努力し支え合った仲間たちとの繋がりは今では宝物となっています。 卒業後にずっとそう感じていられる、という心の様子が世代世代で受け継がれ続けていきますように。

 

素敵な時間をありがとうございました!そして、後輩達の活躍と輝きを願いながら、部室を後にします。

「失礼しました!」 

工業高校17

 

 

私の今回巡った場所は以上で全てとなります。

私の岩国。この度こうして機会をいただけ、岩国出身者としてとても嬉しい思いでした。過ごしてきた岩国をあらためて見つめるとてもよい機会になりました。場所と心は密接なのだなと、今まさに思っています。

毎日普通に在ったものや何気なく過ごしていた日常は実はかけがえのないものであり、故郷の街や人に育てられて、今の私がいます。母なる岩国への感謝を胸に、これからも励んでまいります。そして恩返しとなるような何かができれば幸せです。

最後までご覧くださって、ありがとうございました!

 

河村貴之