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山賊 岩崎由純さんその5

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年4月1日更新

山賊

まだ自分が小学校の頃だったのではないかと思います。広島で事業に成功されていた方が、玖珂の山の中に巨大なお城のようなレストランを建てるというお話が入ってきたのです。そして、その建設中に道路の向かい側にできたのが、山賊という小さな小屋のようなレストラン。当時、肉屋からスーパーマーケットの経営に乗り出していた父も、様々な面で関わらせて頂いていたようです。自宅にあった太鼓もそちらに寄付したと聞いた覚えがあります。
ですから、中学時代から事ある毎に、山賊に行って食事をするのが、岩崎家の習わしのようになりました。県体の帰りも、中国大会の帰りも、お祝い事があった時も、家族と山賊で食事をしました。三段跳の日本記録保持者だった中西正美さんも、世界記録保持者だったウイリー・バンクスさんも、そして、3月15日に紹介しました(http://www.city.iwakuni.lg.jp/site/myiwakuni/33371.html)NECレッドロケッツが体育センターに招聘された時も、父は皆さんを山賊にご案内しました。大学の先輩が来られた時に、一人で山賊むすびを3つ、山賊焼きを2本、そして山賊うどんを食べられて「うどんは一杯で大丈夫です。」とおっしゃった時に、一緒にいたみんなで笑ったのも懐かしい思い出です。
関東に出て40年が経ちましたが、帰省の度に山賊に伺っていました。去年亡くなった母が、山賊のおはぎが大好きだったから、新幹線で新岩国に降りた時も、飛行機で岩国錦帯橋空港を使った時も、帰りに寄っていたからです。8年前、玖珂でセミナーした後、担当の方から「ちょっと山賊に行こう!」と言われて「ありがとうございます。大好きなんです!」と連れて行ってもらったら、なんと2階の大広間に中高校時代の同級生や先生方が30人以上も集まっていました。中学、高校時代の仲間達がサプライズを仕掛けてくれたのです。再会を喜び、疎遠を詫び、みんなで盛り上がりました。
自分にとっての青春も、父母の思い出も、そして仲間との友情も山賊なしでは語れません。今回の取材も、最初は断られるかと思ったのですが、いろり山賊の高橋美代子さんのご厚意で実現しました。この場を借りて心より感謝申し上げます。
「私の岩国」のすべての出逢いに感謝すると同時に、この取材を通して自分に大切な故郷があることを改めて感じることができました。本当にありがとうございました。最後に故郷、岩国の益々の発展と、住んでおられるすべての皆さまのご多幸をお祈りします。